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「とりなしの祈り」 創世記18:16~33 [礼拝メッセージ]

1月26日礼拝メッセージ(中村牧師先生)より
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「まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」マタイ18:19 

 神様は私達に「祈り」という特権を与えてくださった。
 アブラハムは「生まれ故郷を出て、わたしが示す地へ行きなさい」という主の声に従ってカナンの地へ旅立つ。数々の失敗もするが、その都度、主の憐みにより、悔い改めて神に立ち返り、神への信頼が深められていった。また、素直に神の約束のみことばを「アーメン」と受け取り信頼した。そんなアブラハムに神は黙っていることができず、ソドムとゴモラを滅ぼすことを告げられる。ソドムとゴモラは繁栄しているが、人々の生活は乱れ不道徳が蔓延しており、その罪はきわめて重く、正しい人が心を痛めて祈り叫んでいた。神がソドムとゴモラを滅ぼす動機は正しい人を救い出すためである。神はアブラハムに神の民の代表としての役割を与え、神の前に立つ(祈る)特権を与えられた。そして、その特権を使い、とりなしの祈りをするのを期待された。 アブラハムは必死で何度もとりなし、受け入れられるが、それは神ご自身の願いであり、神は人の救いを熱望しておられる。アブラハムに期待されているとりなしは、そのまま教会に求められている。

 Yさんはとりなしの部屋に「物置状態のマンションの一室が自分の部屋となり、主のために用いられるように」と祈りのリクエストカードを出したものの、ご主人の性格を考えると無理だとあきらめていた。しかし、カードを出して一年後、聖霊に後押しされてご主人にお願いし、その部屋は生まれ変わった。Yさんはどんな祈りも主の時が来たらきかれること、あきらめないで祈り続けることの大切さを神体験された。
 Uさんは「全き人・神と共に歩む人」とは、自分が神に造られ、良いものを与えられ祝され、使命を与えられていることを自覚し、日々感謝し、自分の弱さを知り、素直に悔い改め、神を必要とし、みことばを実行し従う人と示された。昨年を振り返って、メッセージやディボーションで示された事を実行するために大きな後押しになったのが「とりなしの祈り」と「決心の祈り」だったと分かち合ってくださった。

 イエス様はいつも生きていて、とりなしの祈りをしてくださっているが、私達にも共に祈ってほしい、神の働きを共に担ってほしいと願っておられる。祈りの働きは個人に、教会に期待されている。主はチームの祈りを喜び、個人の祈りに勝る力を与えてくださる。祈りは信仰者の呼吸である。神と会話・相談しながら、神が行けと言われるところにどこにでも行き、神とともに歩き回ることのできる私達でありたい

「アクラとプリスキラ・家の教会」使徒18:18〜28 [礼拝メッセージ]

1月19日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

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 伝道旅行を続けるパウロは、コリントでアクラとプリスキラというクリスチャン夫妻に出会う。彼らの職業はパウロと同じ天幕作りで、彼らはパウロを家に迎え入れ、伝道活動を助けながら一緒に仕事をし、パウロがコリントを去る時には、彼らも同行した。そしてエペソで伝道した後に、パウロはエルサレムを目指して出かけたが、彼らはしばらくエペソに留まり、そこで伝道を続けたのだった。その時彼らは、アポロというユダヤ人に出会う。アポロは主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを教えていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかったので、重要なポイントが欠けていた。それを見たアクラとプリスキラは、公衆の面前でアポロに恥をかかせることにならぬよう、家に招き入れて、正確に彼に説明した。アポロは後にコリント教会で重要な人物となるが、その背後には、このアクラとプリスキラの愛の行動があったのである。
 この夫妻のことは、最初は「アクラとプリスキラ」と書かれているが、途中から「プリスキラとアクラ」に変わり、妻の名が先になっている。これは福音宣教における信徒の働きで、妻のプリスキラがより重要な役割を担い始めたからであろう。このように、賜物の違いによって役割を分担し、それぞれの賜物を活用すれば良いのである。教会をオーケストラに例えるならば、作曲家は神、楽譜は聖書、指揮者は牧師、演奏者は信徒だと言える。それぞれの音色を生かし、調和し合う時に、素晴らしいハーモニーが生まれるのだ。
 アクラとプリスキラが活躍し、福音の真髄を語れたのはなぜだろうか?それは、パウロと一緒に生活し、伝道の手伝いをすることを通して、パウロをモデル(模範)として学んだからであろう。イエスも弟子たちと共に生活し、ご自身がモデルとなることで、弟子たちを教えられた。成長する秘訣の一つは、良きモデルを持つことである。と同時に、パウロがIコリント4:16で「私にならう者となってください。」と言っているように、それぞれがモデルとなることを目指すことも大切である。それは高慢ではなく、信徒一人一人がイエスを見上げ、聖霊に力をいただき、喜んで生活することこそが、周りに影響を与え、人々を引きつけることに繋がるのだ。そのためにも、ぜひ牧場の中で、自分の体験を分かち合ってほしい。苦しんだことのある人は、その体験を分かち合うことで、今度は苦しんでいる人を励ますことができるから。牧場はその実践の場となることができるのだ。

『恐れるな。わたしがともにいる』使徒 18:1~11 [礼拝メッセージ]

1月12日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

パウロがコリントの町で恐れて福音を語ることをやめようと思ったとき、「恐れないで語り続けなさい。」と復活のイエス様から励ましを受けて力を得た。パウロのような信仰の勇者であっても投獄やユダヤ人の反抗、コリントの人たちの堕落にまいってしまったのである。私たちはこんなパウロに親近感を覚える。
 昨年15年ぶりに当教会に来たアーサーホーランド伝道師は新宿歌舞伎町での路傍伝道で有名だが、初めは何をしていいかわからず恐れ、先輩の伝道師に相談して勧められたり、聖書の「恐れるな。たじろぐな。」というようなみことばから覚悟を決め、恐れはあったが強いられた恵みで実行した。これはパウロの記事とかぶるところである。イエス様の励ましと守りほど心強い約束はない。この約束は今の私たちにも与えられており、私たちのすべきことは呼び出しである。「羊は私の声を聞き分ける。」とイエス様は言われた。私たちが福音を語るとき主の羊が応答してくる。
 ところで人間にとって仕事に就くのは重大な意味を持つ。神様は人間に全ての生き物を治め、耕せと世界管理を委ねられた。治めるとは秩序を与えることであり、耕すとは成長を促すことである。また労働を通して人格が形成されていく。仕事や社会生活でも、言わなくてはならない時には、言うべきことを言える人間になってほしい。周りの評判を気にして言いたいことを我慢するのではなく、嫌われても言うべきことを言う勇気を持つことが大切である。仕事において自分の限界を見きわめることは重要である。これ以上頑張ると自分が潰れてしまう時は、はっきりとNOと言い自分を守れる人になって欲しい。
 サタンが状況を通してパウロを恐れさせ伝道をやめさせようとしたが、彼はイエス様の励ましに勇気をいただき福音を語り続けた。ここにパウロの闘争心をみる。人生に不可欠なものの一つは闘争心である。努力や鍛錬には他者に負けたくないという心理が奥底にある。パウロは自分は誰よりもよく働いた一番のしもべだと言いきっている。私たちも闘争心とよきライバルを持ち、置かれたところで一番弟子を目指していきたい。しかし敗北の痛みも必要であり、耐える力が精神力を支えるようになるのである。

『新しい歌は、み言葉の実践から』詩篇98:1 [礼拝メッセージ]

1月5日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

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 この年、私達の教会の祝福の原点に戻ってみ言葉に生きることにチャレンジしてゆこうという思いが神さまから与えられている。
 創世記にあるように神さまは種類に従って私達人間や様々な動植物をお造りになった。いくら時が経ってもそれぞれの本質は変わることはない。宇宙や地球を観てゆくときそれを造られた神さまの驚くべき御業に触れ、新しい歌が賛美となって私たちの内に溢れ出てくる。
 主に従って歩んだ弟子たちも様々な試練の中で驚くべき神体験をし、畏れと感動が沸き上がり互いに新しい歌を主に捧げた。主に従う中にも試練はある。しかし『深みに漕ぎ出して網を下ろしなさい』というみ言葉に従ってゆくとき様々な試練があるかも知れないが主はご自分の主権の中で私達に志を与えてくださる。
アフガンの復興支援のために尽力し、何者かの凶弾に倒れ亡くなった中村哲さん。命を懸けてアフガンの復興支援のために働いた彼の原動力はイエスさまの『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』というみ言葉だった。彼はアフガンの人々を助けたいという志と、現地のために用水路が必要というアイデアの兼ね合いの中で自分にある賜物を使い現地の人々と共に広大な荒れ地を緑の農作地に変えていった。
 私たちの教会も幼児教育を通して地域に仕えたいという志が与えられている。昨年、国が行った幼児教育無償化は規定があり私達の幼児園は存続の危機があった。しかし、神さまによってアイデアと打開策が与えられ、ピンチをチャンスに変えようとしている。
 み言葉に従い実践してゆくとき主は私達に大きな祝福と恵みを与えてくださる。一人の力は弱いがみんなで支え合い助け合って主にあるチームプレーで心を一つにして従 ってゆくとき今も生きて働いておられる主を体験し、新しい歌が賛美となって心から溢れ出す。
 『主の教えを喜びとし、昼も夜も、その教えを口ずさむ』 詩篇1:2
 今年与えられたみ言葉にしっかりと立ち、主が愛されたように私達も愛し合ってゆこう。私達一人ひとりが主を心から賛美し褒め讃えることができますように。