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『例祭に示された神の救いの計画➁』 レビ23:1、2 [礼拝メッセージ]

2月4日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

 イエス様の十字架の死を弟子たちはとても理解できなかった。しかし、旧約聖書レビ記23章にはイエス様の救いの計画が記されている。それはユダヤ人たちが旧約の頃から守っている7つの祭りであり、それぞれ霊的な意味を持っている。今回は春の祭りを紹介する。
 「過越の祭り」の由来は3500年前のエジプトにある。当時のユダヤの民は奴隷として苦しんでいたが、自分たちは選ばれた民であり、必ず主は自分たちを解放してくださると信じていた。主はそのためにモーセを遣わし民たちを導いた。その中でエジプトに最後にもたらした災いは、エジプト中の初子の命を奪うというもの。ユダヤの民は子羊の血をそれぞれの家の門柱と鴨居に塗った。そのおかげで主の裁きはその家を過ぎ越した。ここからこの日を「過越の祭り」としてユダヤの民たちは祝うようになったのだ。
 バプテスマのヨハネはイエス様のことを「神の子羊」と呼んだが、イエス様もまたご自分が救いの過ぎ越しの子羊として十字架にかけられることを知っていた。
次に「初穂の祭り」について、これはイエス様の復活を意味する。
イエス様は甦った「初穂」、即ち一番最初に復活された。ではあとの者たちは?再臨の時のキリスト者たちでイエス様の後に続く。
 「種なしパンの祭り」というのは過越の祭りの後に行われる。エジプトを脱出したユダヤの民たちは、パン種を入れてそれを焼く余裕もなかった。彼らが食べたのは種なしパン、けっしてそれを忘れるなという意味がある。しかしイエス様が言われた「パン種」には別の意味がある。「パリサイ人のパン種」とは律法主義のことであり、「ヘロデ党のパン種」とは政治的な権力のことだ。イエス様の弟子たちでさえ影響を受け、その権力を得ようとしていたのだ。そんな彼らにイエス様は「偉くなりたい者は皆に仕えなさい」と言われた。私たちにもパン種はないだろうか?お金や趣味、自分のやりたい事を優先していないだろうか?そんな私たちにイエス様は「神の国と神の義をまず求めなさい」と語って下さっている。
 最後に「ペンテコステの祭り」を紹介する。これは新約の時代ではイエス様の復活から7回目の安息日。旧約ではこの日、「十戒」が与えられたとされている。エレミヤ31章には「わたしはそれを彼らの心に書き記す」とある。旧約の律法ではない新しい時代、新しい恵みがやって来る。ペンテコステの日、ユダヤの民たちは「ルツ記」を読むように言われるのだが、これはユダヤ人ボアズと異邦人ルツが結ばれるという内容だ。ペンテコステは主にあって民族は関係なく一つとされる祭りなのだ。
 ここであるお母さんの証しについて語ろう。彼女は我が子へ教える時に、上から押し付けるのではなく子供たちに考えさせ、彼らに選ばせるようにしている。また、弱い立場の人に対する配慮についてもそうだ。今学校では能登の被災者に対する募金を集めている。子供たちにお年玉を使うことを提案し、幾ら寄付をするのか、これだけあれば何が買えるかを考えさせ、自らで金額を選ばせる。この選択を神様が喜んで下さると伝えることで、彼らに信仰は継承されていくことだろう。