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『私たちが追い出せなかったのは、なぜですか』 [礼拝メッセージ]

3月3日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

 この息子の口がきけない、引きつけを起こすといった状態は悪霊によるものであったが、「幼い時から」と書かれていることから、親に原因があったと考えられる。例えば、オカルトや占いなどと深く関わると、悪霊の影響を受けやすくなってしまう。悪霊に侵入口を与えないように、オカルトや占いには関わらないことが重要である。
 悪霊を追い出してもらおうと、イエスに「おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください。」と願う父親に対し、イエスは「できるなら、と言うのですか。」と問いかけるが、これは父親から信仰を引き出そうとした言葉である。父親はすぐに「信じます。不信仰な私をお助けください。」と答え、息子は癒される。ここからわかることは、信仰とは100%信じきることだけを意味するのではなく、たとえ不信仰な部分があったとしても、神は恵みを与えてくださるお方だということだ。Ⅰコリント12:3にあるように、私たちは自分の力で信じたのではなく、聖霊によって信じることができるようにしていただいたのである。同じように、祈りが応えられるのも、神からの賜物(プレゼント)なのだ。
 では、弟子たちが祈ったにも関わらず、この息子から悪霊が追い出されなかったのは何故だろう?理由として、弟子たちに欠けていたものが2つ考えられる。ひとつめは「神への信頼」の欠如であり、弟子たちは過去に悪霊を追い出した体験から、神に頼ることを忘れ、人間の力で追い出そうとしていたのではないかということ。これと対照的なのが、息子の父親の態度である。「不信仰な私をお助けください」と、すべてを主に委ねて頼った。聖霊の力なしに霊的な働きをすることはできず、主に頼ることなしに行っても、虚しい結果となる。礼拝や牧場も含め、私たちも自分の力に頼ろうとしていることはないか、振り返ってみたい。
 ふたつめは「この父親と息子に対する愛」の欠如である。この時の弟子たちの関心事は「自分たちの中で誰が一番偉いか」だったため、2人への愛よりも、自分たちの力を表すことが目的になっていたのではないだろうか。
 神にきかれやすい祈りとは、「神、人、自分に対する3つの愛に基づいた祈り」である。例えば、結婚のためであれば、自分の求める相手の条件だけを祈るのではなく、家庭を通して神の栄光を現せるように。経済的なことであれば、自分の必要のためだけでなく、神と人にもっと仕えることができるように。このような、3つの愛に基づいて何かを求める祈りであれば、神は喜んで応えてくださるだろう。自分の祈りの姿勢を振り返ってみたい。