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十戒:愛の言葉 出エジプト19:1~8 [礼拝メッセージ]

1月28日礼拝メッセージ(川端伝道師先生)より

Ⅰ.言葉の捉え直し(十戒・律法)
 「十戒」という言葉、なんだか禁止事項が並べられて厳格な印象をもつ人もいるのでは?しかし、原文の聖書には十戒を指すヘブル語は「十の言葉」と表現されている。戒めではなく、ご自分の民に対する神さまの愛の言葉であることをまず理解したい。また「律法」という言葉にも、「法律」のような冷淡なイメージを持つかもしれない。ところが、原文で用いられているヘブル語の「トーラー」という言葉は「教え」や「指針」といったニュアンスでつづられている。
「我が子よ、父の訓戒に聞き従え。母の教えを捨ててはならない」箴言1:8
 母親が、我が子を想い優しく諭すように、私たちのことを心配しておられる神さまが、その成長と安全を願い語ってくださった教え、それが十戒である。

Ⅱ.十戒の前提
 神さまの一方的な御業でイスラエルをエジプトから導き出されてきたのは、彼らが神さまと契約を結ぶためだった。契約とは神の民とされ、神と人々との間に立ち、他の人の救いのために執り成すという務めが与えられるためであった。神の救いの計画を共に担う民として、彼らを聖別し招くことこそが、出エジプトの目的であったのだ。ただし、神さまは決して強制的に従えるのではなく、彼ら自身の意思で信仰を言い表すことが十戒を与える前提であった。「従います」と信仰告白で応答した民に対し、神の家族として生きるための道標を与えた、それがまさしく十戒なのである。

Ⅲ.福音の届け方
 出エジプトの出来事の後、40年の荒野の旅を経て約束の地カナンへの入国を目前に控えたとき、指導者モーセの告別説教の相手は出エジプトを直接経験していない荒野育ちの若者たちだった。モーセは自分たちが神さまから聞かされた通りに、次世代の民にも語った。救いの歴史の回想、神さまとの特別な契約関係、「神の掟に従うことが、どれほど幸せな事なのか」を強調して十戒の言葉を伝えたのだった。また、神さまがなさった通りモーセも“選択の自由”を与えた。「どうか、いのちを選び取ってくれ!」という励ましの言葉を添えて。
 私たちが神さまに従うことを冷たく、苦しい北風のようだ、と感じるとき、もはや福音ではなくなっている可能性がある。福音を福音として受け取ることがクリスチャンにとって何よりも大切なことではないだろうか。神さまからの愛の言葉に自らの意思で応答する私たちの姿を、神さまは待っておられる。