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『わたしの名のゆえに受け入れるなら』マルコ9:30~37  [礼拝メッセージ]

4月7日(入学祝福式)礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
 イエス様と弟子達はカペナウムのペテロの家まで向かっていた。その道中、イエス様はご自身が死んで三日目に復活される事を弟子達に話されたが、弟子達はその意味を正確に理解できず、イエス様が亡くなって以後の事を考え、誰が一番出世し地位が高くなるのかを熱心に論じ合っていた。そんな弟子達にイエス様は、地位や名誉を求めるのではなく人に仕える者となる事を教えられ、人に仕える一例として、当時、ごまめ扱い(半人前、力や能力の無い者)されていた子どもを、かけがえない存在として認める事を弟子達に求められた。
 神様の許しと愛によってこの世に誕生した子どもや幼子を受け入れる事は、イエス様を受け入れる事、そして、それは神様を受け入れる事だと語られた。

(ある動画の鑑賞)あらすじは、親が病気で薬を万引きした子どもが、店主に叱責を受けるが、それを見ていた飲食店店主が事情を理解し薬代を払い、自身の店の野菜スープを子供に与えた。30年後、飲食店店主は病に倒れ莫大な治療費が必要となり、家族は店も売りに出し困り果てる。そんな時、治療代は30年前に支払い済みとして0円の請求書が届く。あの万引きをした子どもは医師となり店主を救っていた。

 この動画では、神様の愛ゆえに存在する子どもには将来があり、子どもに善行できる人には報いが与えられる事を伝えている。たとえ、この世で報いがなかったとしても、天の御国で報われるのだ。イエス様は子どもに仕える事を心から祝福して下さる。当教会でも幼子や子どもに仕えるプログラム(こひつじ組、プリスクール、幼児園、Jキッズ、中高科、子ども食堂)を行っている。子ども達に仕える事はイエス様に仕える事との認識を共有して今年度もこの働きを進めていきたい。