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「凄いぞ!創造された人間」創世記1:26,27 [礼拝メッセージ]

2月23日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

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 1人の人間の体の中の血管を、細い物も全部合わせてつなげると、なんと9万〜10万㎞(地球を2周半)にもなる。そして、心臓は握り拳大の小さな臓器だが、眠っている間も休みなく、1日10万回も動き続け、8千ℓ(牛乳パック8千本分)もの血液を送り出している。また、植物は太陽の光エネルギーを利用して、炭水化物を作り出すことができるが、人間はそれを食べることで、間接的に太陽エネルギーを取り入れて生きている。これだけのことを考えてみても、こんなにすごい仕組みが偶然の産物であるはずがなく、私たちは自分の力で生きているのではなく、創造主の知恵と配慮に支えられて、生かされていることがわかるのではないだろうか。
 福沢諭吉の「学問のすすめ」は有名だが、冒頭の言葉は「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり。」である。つまりこれは、諭吉本人の言葉ではないということ。参考にしたのはアメリカの独立宣言であり、そこには「創造主によって、すべての人間は生まれながらに平等である」という内容が書かれている。これが現在の民主主義の土台であり、日本人も皆この恩恵にあずかっているのだ。聖書には、人は「神のかたち(本質を反映するもの)」に創造されたと書かれている。しかも、神の作品(一点もの)なのだ。それがわかると、いたずらに人と自分を比べることがなくなり、自分の独自性を受け入れることができるようになる。
 神は人間に「地を治めよ」という使命を与えられた。治めるとは、「労働、奉仕を通して地を管理する」と言い換えることができるだろう。仕事や奉仕を通して能力が伸びる秘訣は、未経験のことにぶつかり、チャレンジすることにある。試行錯誤しながらもクリアすることで、自信と力がつき、さらに新しいことにチャレンジできるという成長循環が生まれる。また、学生や主婦であれば、今の学校や家庭は神から遣わされた場所であり、そこで勉強や家事、育児をすることは、学問や人間関係を通して、神の創造した世界の素晴らしさやルールを学ぶことになる。そしてそこで「神の栄光をあらわす」存在になってほしい。
 人間の作品と、創造主なる神の作品である生き物との、決定的な違いは何だろう?それは、生き物は新しい命を生み出す(子孫を残す)ことができるということ。クリスチャンの使命は、霊的子孫を生み出すことにある。ぜひこの使命に、全力をあげてチャレンジしていってほしい。

『創造主なる神』 創世記1:1~25 [礼拝メッセージ]

2月9日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

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 私たちの住むこの世界、この地球、この宇宙は寸分の狂いもなく計算され、設計されている。そこに創造主なる神様の知恵を感じずにはいられない。
 例えば地球は1秒間に約30㎞という速さで、太陽の周りを公転し続けてる。速度は一定に保たれていて、わずかの誤差もない。太陽と地球の距離も極めて限定的で、これ以上離れると大地は凍り付き、これ以上近づくと地上は焼けつくされ、植物も生物も育たない。また、太陽からは危険で有害な「太陽風」も降りそそぐ。それを地球に発生する「大気層と磁場」が防いでくれているのだ。
 また地球上の植物、生物も聖書に書かれている通りに「種類に従って」生かされている。決して他の種とは交わらない。例えば、米は品種改良され数多くの銘柄があるが、決して麦にはならない。昆虫は他の植物へ花粉を運ぶが、種類の違う植物が受粉することはない。植物は種、つまり「子孫」を残すように出来ている。たとえ動物に食べられても種を残し、地に落ち、芽が出てまた育つ。大気や水が循環するように、生命もまた循環する。まさに世界は不思議に満ちている。
 中世の科学者、ガリレオは地動説を唱えて宗教裁判にかけられたが、実は聖書は天動説など書いていない。ガリレオはクリスチャンだが、彼より前に地動説を発表したコペルニクスもしかり、後に「惑星公転の法則」を発見したケプラーもまたクリスチャンであった。科学者、天文学者たちは真理を知った時、偉大なる存在「サムシング・グレート」を確信する。
 真の神様は「時間」をも創造された。時間は決して造ることが出来ず、貯められず、取り戻すことが出来ない。かけがえのないものだからこそ、使い方に優先順位をつけることが必要である、時間もエネルギーも限りがあるのだ。
 私たちの教会の今年の目標は原点回帰「みことばに生きる」である。みことばを知っているだけではなく、創造主なる神様と喜びを共にするために、どうか「みことばを実践する人」になっていただきたい。それが私たちに示されている生き方なのだから。


『御名の力・祈りの力(主のわざを行うために)』 使徒19:8~19 [礼拝メッセージ]

2月2日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 パウロのエペソ伝道中に,パウロが身に付けているものに触れると病気が治り,悪霊が出ていった。『福音を伝える・病気のいやし・悪霊を追い出す』という3つの行為は,イエス様が行ったのと同じである。こうすることによってイエス様は,パウロが語る福音メッセージの正しさを証明されたのだ。悪霊祓いまがいの仕事をしていたユダヤ人祈祷師達が,パウロのまねをしたが,イエス様を信じても従ってもいない人の言葉はきかれず,悪霊に憑かれた人の反撃にあった。
この出来事をきっかけに,エペソの人々にイエス様への畏敬の念が広がり,イエス様を信じる人が数多く起こされた。また,魔術と関わっていた人がそのことを告白し,縁を切った。占いやいんちき予言は主に喜ばれることではないので,持っている人がいれば処分してほしい。
 現代でも悪霊のはたらきがある。新年聖会で,辻浦信生先生は「悪霊との戦いは,イエス様のわざを引き継ぐものとして教会が担うもの」と言われ,教会員に憑いていた悪霊との戦いの体験を語られた。
 悪霊のはたらきは,生まれながらの人々を支配し,永遠の滅びに導くこと・人にとりつき人格に影響を与えること・人にとりつき占いや霊媒の活動・人にはたらきかけて神の言葉を信じないよう邪魔をすることである。悪霊に過敏になっても,無視してもならない。
 聖書は,目に見えない悪霊の働きがあると教えている。戦い勝利する秘訣は,主イエス・キリストの御名の権威であり,御名による祈りの力である。イエス様には「すべての名にまさる名を与えられました(ピリピ2:9)」と書かれている。すべての権威と力があるイエス様の御名で祈り求めることが,私達にはゆるされている。すべての聖徒のために,イエス様の栄光のために忍耐をつくして祈ろう。