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『見たことも、聞いたこともない②』Ⅰコリント 2:1~10  [礼拝メッセージ]

3月31日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

 イエス様の十字架の死と復活こそ、目がみたことのないもの、耳が聞いたこともないもの、神の知恵、神の奥義である。
 救い主が十字架で死に、復活するなど常識では考えられないが、愚かで無力な十字架のことばには神の力が宿っている。もし復活が嘘なら、恐れて隠れていた弟子たちの殉教、パウロの回心は説明できない。復活が事実と信じられるのはご聖霊の働きである。サタンはイエス様を十字架につけて殺し、勝利したと思ったが、神はイエス様を復活させ、サタンを敗北させた。それ以来サタンは人々が救われないように躍起になって働く。 十字架は無意味で復活などありえないと思うよう働きかける。 
 私達も復活できると約束されている。信仰による救いを受け取ったかどうかで死後に苦しみの世界に行くか、慰めの世界=パラダイス=第三の天、天国に行くか決まる。死は肉体と霊魂の分離である。救われた人はパラダイスで復活の時を待つ。復活の体は部屋に一瞬で入ることでき、見てさわること、食べることもできる。復活の体はイエス様が再臨される時与えられる。まず、キリストにある死者がよみがえり、それから、まだ生きているクリスチャンが瞬時に引き上げられ空中で主と会う。その時がいつなのかわからない。だから目を覚ましていなさい。
 元淀川キリスト教病院院長、柏木哲夫氏は①自分に起こる事すべては益と変えられる ②死後の行き先を知り、そこに行けると確信がある この二つがあるならかなり幸せであると言う。人生には三つの坂、上り坂・下り坂・「まさか」という坂がある。「まさか」はほとんど不都合なことで不幸に思えるが、将来益になると思える。死は新しい世界への出発と確信するなら幸せである。
 では、すべてが益になるのなら、私達は何もしなくていいのか?いや、やるべき事をし、どうすることもできない事は主に委ねる。これがクリスチャンの生き方である。例えば、子供とピクニックに行く約束の日、あいにくの雨。 雨天用のプログラム考え、お祈りして寝る。晴れれば喜び、雨なら、「残念だね」と思いっきり子供の心に共感する。そして、世の中にはどうすることもできない事があることを子供と共有する。雨が降るから虹が出ることも分かち合う。雨は人生そのもので、現実に厳しいことはある。困難があっても大丈夫と思えるのが成熟したクリスチャンである。