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『聖書に見る感染症対策』レビ記 11:1~4.19 [礼拝メッセージ]

3月22日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

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 専門家によると、今回のコロナ騒動の始まりは中国のこうもりである可能性が強まった。中国ではこうもりを食べる習慣がある。聖書のレビ記に書かれている、食べてはならないもののリストには、こうもりもある。約3500年前、まだ病原体のこともウイルスのこともわからない時代に、創造主はモーセを通して十戒に代表される律法をイスラエルに授け、人々はそれを守ることによって多くの感染症から難を逃れた。また、手洗いの儀式も聖書に記されている。手洗いは公衆衛生の基本であり、手洗いは飛沫感染を防ぐ。神の律法を守るという信仰の行為が彼らを感染症から守っていたとは、何とも不思議である。 
 18世紀のヨーロッパでは年間60万人もの人が天然痘で命を落とした。イギリスの医師エドワード・ジェンナーは酪農家の婦人の「牛痘になった人は天然痘にならない」という言葉にヒントを得て、天然痘の予防ワクチンを発明した。WHOのマークは竿と蛇であるが、民数記21章の「青銅の蛇」を連想させる。「青銅の蛇」はイエス様の十字架を予表し、ジェンナーの免疫療法に似ている。出エジプトしたイスラエルの民は荒野の生活の厳しさに、救い出して下さった神の恵みを忘れ、不平不満を言う。そこで神は毒蛇を送り、人々はバタバタと倒れるが、神がモーセに作らせた、竿の上に掲げられた「青銅の蛇」を悔い改めた人が信仰をもって見上げると、みな助かった。イエス様は罪の権化である毒蛇にかまれて死に、黄泉にくだり、全部罪を処分して復活された。そのイエス様を信じることは「復活の命」というワクチンを接種していただいたのと同じである。私達は死ぬが、永遠には死なず、イエス様と同じ永遠の命・復活の命にあずかるのである。
 十戒の第四戒に「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ」とある。 これを忠実に守ることで心と身体の疲れを取り、ストレスを解消し免疫力を高める。神が6日間働いて7日目に休まれたから、神に似せて造られた私達も休みをとる。恵みのリズムが生まれてくる。安息日は神の声に耳を傾ける時である。何のために生きるのか?働くのか?勉強するのか?をみことばを通して確認する。そして、翌日からの世界管理の業に身も心も備える時。それが主の日の礼拝である。 

「御名をあがめさせたまえ」マタイ6:9~10 [礼拝メッセージ]

3月15日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より


今回の世界中に波及したコロナウイルス騒動、これにより当教会の霊的生命線である礼拝にまで影響が及んでいる。しかし、御手の中でこの災いが、ただのマイナスだけに終わるのではなく、感謝と賛美に変えていただき、御名をあがめることとなるように願いたい。
そのような事例を、二つのことを通して確認したい。

Ⅰ.方角定次郎(ほうがい ていじろう)
明治時代、石川県小松に方角定次郎という青年がおり半農半漁で生計を立てていた。ある時、近くの湖で一晩中わかさぎ取りをしていたが、一匹も取れなかった。めげずに漁を続けて行く時、網に かかった小冊子があった。何だろうとその本を読むと、本の中に「船の右側に網をおろしなさい」とあった。その通り網をおろしてみると、今までの不漁が嘘のように多くの魚が取れて腰を抜かした。その本は、日本聖書協会がその地方に配ったヨハネの福音書の分冊だった。
それを機にその本を読んだが意味が分からずにいた。ある時、町に出かけたら、そこに路傍伝道をしていた青年がおり、そのメッセージを聞いて本の言いたかったことが分かり、信じた。彼が、後の小松教会創立の基となった。主は、捨てられた聖書を用いて、教会を設立したのである。

Ⅱ.災害列島日本
平成締めくくりの時、ある新聞社が社会に与えた影響の大きかったことは何かを、全国の有識者にアンケート調査をした。第一位は東日本大震災、第二位がオウム事件、第三位が阪神大震災であった。加えて、ここ数年にわたり起こった水害、台風被害。その上、今回のコロナ騒ぎ。改めて日本が「災害列島」であることを思い知らされた。
ところが、必ずしもこうしたことがマイナスに終わらないことを歴史が証明している 。
19世紀、欧米列強は、アフリカ、アジアを次々と植民地にしていった。そして、その流れの中で、鎖国を続けていた日本に、接近してきた。彼らは何故日本を他の国同様に植民地にしなかったのか。それは1850 年代から次々と起こった地震や水害とコレラによってであった。あまり地震の経験のない彼らは、江戸末期に起こった三大地震に触れ、江戸中を襲った大水害を目撃し、コレラの恐怖に怯え、日本を植民地という欲望は萎え果てたという。まさに、マイナスがプラスにの典型のような事例である。

上記のようなことを通し、日本に次々と襲い掛かる災いが御手の中で益として用いられることを皆で祈り求めていきたい。

「安息日の主」 マルコ 2:23~28 [礼拝メッセージ]

3月8日礼拝メッセージ(中村牧師先生)より

 コロナウイルスの影響で、3月8日の礼拝は、会堂においては、限られた奉仕者だけが集って礼拝を行ない、あとのみなさんは、ご自宅などそれぞれの場所で心を合わせて礼拝をしていただく…という、特別な主の日になります。
 私たちは、パリサイ人たちのように形だけを重んじる礼拝者ではなくて、主が求めておられる心からの礼拝を捧げる者になっていきたいと思います。
 またこの機会に、いつも当たり前のように会堂で礼拝を捧げていますが、それがいかに恵まれたことなのかということを覚え、主の恵みに感謝したいと思います。
 そんなことを、ディボーションのマルコの箇所から、みなさんで確認出来ればと思っています。

1.パリサイ人たちは、なぜイエス様に文句を言ったのでしょうか?
2.神様はどのように命じておられるのでしょうか?
(申命記5:12~15、申命記23:24~25参照)
3.イエス様が言おうとされた安息日の本当の意味を考えてみましょう。

『われわれに似るように』(交わりの欲求) 創世記1:26,27 [礼拝メッセージ]

3月1日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

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 『われわれ似るように』と私たち人間を神さまは創造してくださった。
独立した人格を持ちながらただおひとりの方、完全な一致と交わりをされる三位一体の神さまに似るように造られた私たちは人格的な交わりの中で他の人を認め合い、協力して力を合わせることによって生まれる心からの交わりを通して成長してゆくように造られた。
 三位一体のまことの神さまとの交わりに私たちは加えられている。イエスさまを信じる者に与えられる聖霊の働きによって交わることができるのだ。主との交わりの中で一人ひとりが用いられ、力を合わせて協力してゆくことで不可能が可能になってゆく。
 人間には集団に属したいという欲求がある。ではどのような集団に属したいと思うのだろう。
 1.魅力的な人(知人)がいる。
 2.集団の目的や活動内容が魅力的である。
 3.その集団に入ることで自分の価値が高まる。
 4.その集団に入って自分の力を試したい  などである。
私たちクリスチャンが主を褒め讃え、霊の糧であるみことばを分かち合うとき三位一体の交わりの中でこの世には無い恵みと喜びと証しが周りの人たちを引き付け大きな影響を与えてゆく。家の教会や牧場が祝され用いられる秘訣がここにあるのではないだろうか。
教会は聖霊による神の家族、この世には無い愛に感動することもあるがトラブルの起きることもある。
 しかし、トラブルを通して主のメッセージを聞く機会でもある。自分の弱さ、罪が示されイエスさまに愛されているのに愛のない自分に気付き、イエスさまの十字架の恵みを体験する時となるからだ。イエスさまならどうなさるかを考え、聖霊によってみことばに立つとき許せなかった人を許す愛が生まれ、互いに協力してゆこうという思いの中で強い絆が育ってゆく。ある方が、みことばを握って祈り続けたとき奇跡としか思えない祈りの不思議を証ししてくれた。
 当たり前と思っていた普通の暮らしがコロナウイルスによって脅かされ、日本が世界が大きな危機の中にある。コロナウイルスはコウモリが媒介したと報じられているが旧約の時代にまことの神さまはモーセを通して与えられた十戒、レビ記に記されている食物規定で守ってくださった。
 普段通りの生活ができることは当たり前ではなく恵みなのだ。
『汝ら静まりて我の神たるを知れ』  詩篇46:10
 主に在って冷静に判断し対処してゆけるように祈ってゆこう。

おしらせ

コロナウィルスの感染予防のため
3月の
ジョイファミリー幼児園
プリスクール
ベビースクール
Jキッズ
JF食堂 
はお休みにします。