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『逆境を生きる力』創世記 8:13~20 [礼拝メッセージ]

4月26日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

 今日の箇所はノアの箱舟のところから礼拝復活の希望というところ。創造主なる神様は人類の悪の増大に対して洪水をもって裁かれるが、みこころに叶ったノアたちを救うため箱舟を造るよう命じられた。1年10日間続いた洪水が終息した時、ノアたちは心からの感謝の礼拝を捧げた。今コロナ感染症はアダムの罪の結果として全世界に広がり、人間の世界管理に対する自然の反逆、神様の裁きとも言える。私たちも主に守られ終息の時が来るという喜びを、主の家族とともに心からの礼拝を捧げたい、これが私たちの希望である。祈りつつ主の時を待ち望もう。
 ところで大洪水は本当にあったという事実はノアの子孫たちに伝えられ、その伝説は200を超える世界各地、あらゆる種族間に残っている。箱舟の大きさは長さ132m、幅22m、高さ13m(30:5:3)の比率で造られ、黄金比と言われるほど完璧な作りであった。また生物の原種だけ入れれば良かったので、全ての動物が入ることは可能であった。ノアに命じた神様は全能の神であったということがわかる。
 逆境に強い人は困難の中でもプラスを見出すことのできる人。ノアも洪水の終息とその後の新天新地の希望を持っていた。適用として受験勉強も終わりとその後の希望があればこそ耐えられる。その2つの効用は①楽しいことを我慢してやらなければならないことをやる時、それを乗り越える精神力がつく。②挫折を知ること。受験の敗者は惨めな屈辱感にまみれるが、それに耐えることがその人の精神力を鍛える。受験に挫折を味わうのも恵み、正にプラスを見る力である。
 逆境を生きる力。これはイエス様がいて下さり応援して下さるから、私たちは逆境を乗り越えていくことができる。イエス様は私たちの罪のために死んで下さり私たちの罪を赦して下さったので、真の神様はイエス様を通して義の衣を着せられた私たちを見て下さる。そしてイエス様はとりなし祈りのパイプ役となり私たちと神様を結んで下さり、ご自身も私たちの祈りに答えて応援して下さる。祈りを通して艱難、忍耐、練達が作られる。私たちの教会で行っている50日間連鎖断食祈祷を通しても、この祈りの戦いにイエス様にあって勝利して、ノアと同じように心から感謝の礼拝を主の家族とともに捧げたいと思っている。


『捜し出し養う主』エゼキエル34:11-16 [礼拝メッセージ]

4月19日礼拝メッセージ(中村牧師先生)より

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 バビロン捕囚によって国が滅亡寸前の状態にあるユダ王国、まことの神さまによって遣わされた預言者エレミヤの語るみことばを無視し結果として目に見える物はバビロン軍によって徹底的に破壊された。
 人間が作った神殿や形式だけの祭儀的な礼拝を捧げても、そこにまことの神はおられない。唯一の希望だった神殿が破壊され絶望の中に落とされた捕囚の民をまことの神は見放さず、エゼキエルによって神の摂理、回復の希望と繫栄を約束してくださった。
 目に見えるものではなく、信仰の目で見ればインマヌエルの主はどんな時でも傍にいて見守り、力強い御手を働かせて支えてくださる。まことの神は砕かれた魂と共にご自分の民を捜し出し、ご自分の力強い御名によって養ってくださる。
 近江聖書教会のクリスチャンシンガー吉村美穂さんはコロナ騒動がなければわからない人々の暖かさ、自作ⅭⅮが用いられたことによって人の思いを遥かに超えて働かれる主がおられること、そして命ある限り自分を通して主の栄光を表すことが人生の目標だと示され、主から目が離せないと証ししてくれた。
 バビロン捕囚の中で絶望していたユダの民だが目に見える物としての神殿が破壊されたことがプラスとなって御言葉を中心とした会堂礼拝の形が生まれ、新約時代の教会の備え となり、その恵みは今に繋がっている。
私達の教会も、猛威を振るうコロナウイルスの影響でweb礼拝となっている。慣れていないので中継がうまくいかない事があるが、そのようなときでも自分も礼拝奉仕者の一人であるという自覚を持ってたくさんの人が与えられた賜物を活かし、祈りで支え励ましてくれる姿を見るとき、主に在ってワンチームだと心から思わされている。来たくても色々な事情で礼拝に出られない方や遠方にいる方々がweb礼拝の動画を見ることによって励まされているという。主はweb礼拝を用いて散らされている人を捜し出し、養ってくださっている。
 主が更に大きな恵みで満たし成長させてくださるための備えのときなのだと信じ、時が良くても悪くても御言葉に従い静まって祈り歩んでゆこう。捜し出し、養ってくださる主が連鎖断食祈禱を通して御栄光を現してくださいますように。

「皮の衣を着せてくださった主」創世記3:15〜21 [礼拝メッセージ]

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4月12日(復活祭)礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

 中国が新型コロナウィルスの感染確認を発表してからわずか4カ月だが、今や世界中で猛威をふるっている。発生源のコウモリを食する中国武漢市の海鮮市場中心に発生し、中国人が国内外へ大移動する春節の時期だったことが重なって、世界中に広がってしまった。これはまるで、アダムとエバに入った罪が、あっという間に人類全体に広がったことのようではないだろうか。彼らが神から「取って食べれば、必ず死ぬ」と約束されていた実を食べたことで、人間に罪とその報酬である死が入ってしまった。また「土地は、いばらとあざみを生えさせ」と書かれているように、飢饉や疫病を含む自然の反逆にあうようになった。つまり、コロナは人間の罪がもたらした結果のひとつだと言うことができる。
 しかし神は、そんなアダムとエバのために「皮の衣を作り、着せてくださった」とある。これは、罪をあがなうために動物の血が流されることを表しており、イエスの犠牲によって、私たちに義の衣を着せてくださる預言である。イエスは十字架の死からよみがえることで、サタンの毒である「罪と死」を完全に打ち砕いてくださった。そして、イエスを救い主と信じる者には、「永遠の命」という義の衣を着せてくださるのである。コロナウィルス感染症の解決策として、特効薬やワクチンの開発があるように、「罪と死」という人類最大の感染症の唯一の解決は、イエスによる「永遠の命」というワクチン摂取にあるのだ。
 今、世界中が苦しい状況にあるが、この中で私たちにできることを考えてみたい。まず、神を愛する表現である礼拝を守るため、ライブ配信、ホームページ動画、CD等を活用していく。また同時に、隣人への愛の実践として、外出が難しい人にCDを届ける、手作りが得意ならマスクを作ってあげる、あるいはお互いにラインやメールで情報交換したり励まし合う等々、ぜひそれぞれ考えてみてほしい。
 また教会全体でできることとしては、連鎖断食祈祷にチャレンジしたいと考えている。復活祭の本日から、5月31日のペンテコステまでの期間、一日の内の一食を捧げて、大勢で鎖のように祈りを繋いでいきたい。聖霊が与えられた日を記念するペンテコステまで、その力をいただき、祈りの陣を張っていこう。ぜひ一人でも多くの方にこの輪に加わっていただき、共に主の祝福を期待していきたいと願っている。

『それを,ここに持ってきなさい』マタイ14:13~21 [礼拝メッセージ]

4月5日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 専門家は「感染症は必ず終息する」という。新型コロナウィルスが、できるだけ犠牲を少なく、できるだけ早く収まるように願う。それまでの間、霊的・肉体的健康を守るように考えたい。
 イエス様は人里離れた場所に行かれたが、大勢の群衆が追ってきた。イエス様が人々の悩みを聞き、病気をいやされていると、夕暮れになった。弟子たちは「寂しい場所で(=環境が悪い)、時刻も遅い(=手遅れ)、大勢の人がいる(=問題が大きい)から、群衆を解散させてほしい」と言った。人は、自分のことだけを考え、他人の困難には冷たい態度をしがちである。イエス様は、求める者にとことん関わり、求めに応えてくださる。
イエス様は弟子に「あなた方が食べ物をあげなさい」と命じた。それは群衆への慈しみと同時に弟子の信仰教育だった。イエス様との関係で、人間的に解決不可能と思える問題に対処する方法を教えるためだった。
 この時、1人の少年が2匹の魚と5つのパンを持っていた。人間的な計算ではそれでは足りないが、主のみ手にゆだねると、人々を満腹にしてまだ余るほどになる。私達は無力だが、イエス様は「失望と困難を私のところに持ってきなさい」と言われた。人は不足を数えてつぶやくが、イエス様はそこにあるものを祝福し、用いてくださる。
 手に負えない課題は一人ひとり異なる。今の教会の課題は、新型コロナウィルス蔓延の中で、礼拝をどう守るかである。この時期にイエス様から求められるのは、素直であると同時にしたたかで、この状況を乗り切る前向きな信仰である。柔軟に状況に合わせて、いろいろな方法で礼拝を守っていきたい。私達のもっているものをイエス様に差し出して、豊かな祝福を受けていきたい。

『問題が用いられて』 使徒6:1~7 [礼拝メッセージ]

3月29日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

 世界中でコロナウイルスが猛威をふるっており、人々は恐怖に陥っている。マイナスにしか思えない出来事だが、一方でプラスに用いられてきた。過去、感染症は世界を動かしてきたのだ。
 中世、黒死病と呼ばれたペストの大流行でヨーロッパの人口の三分の一が死亡した。それにより農奴が激減し、彼らの立場が強くなり封建制度が崩壊した。19世紀、インドでコレラが発生し世界中に広まった。その原因が不潔な井戸にあったと判明すると水道の整備が行なわれ、公衆衛生が発達した。このように問題が起こったことにより、プラスへと転じることができた例である。
 初代教会である問題が起きた。ギリシャ語しか使えないユダヤ人と、ヘブル語を話すユダヤ人との間で食事の配給を巡るトラブルが起こったのだ。言葉が通じず、意思の疎通が出来ず、ギリシャ語しか話せないやもめたちの食事がなおざりにされてしまったのだ。そこで使徒たちは、「御霊と知恵に満ちた、評判の良い」7人を選び、食事の配給などの世話役とした。このことにより益々祝福が与えられ、多くの人々が救われた。
 教会は、キリストの体であり、様々な器官から成り立っている。使徒は今日でいう牧師であり、みことばと祈りの奉仕をする。7人の世話役とは教会の執事、また牧者たちだ。色んな知恵を出し合い、問題解決のため話し合う執事会、牧会伝道のための牧者会、この二つは松原聖書教会の両輪である。コロナウイルスの脅威により教会始まって以来の危機的状況にある今、執事会のリーダーシップのもと、力を合わせてこの困難を乗り切っていけるように祈って頂きたい。主は必ず答えてくださるのだから。