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「公に告白する時」マルコ5:25~34 [礼拝メッセージ]

7月9日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 本日証しした牧者のHさんは「イエス様を信じて死を恐れなくなった」と言っている。また,I執事は,闘病後に亡くなったお母さんの姿に,天国に希望をもつ信仰のすばらしさを感じたと語った。
 仏教・イスラム教の創始者は亡くなったが,キリスト教はこれらの宗教と異なり,イエス様が死から復活された。キリストを信じる者には,死の悲しみを越えた希望がある。亡くなった人の魂は天国で永遠に生き,イエス様の再臨の時に体がよみがえる。これがイエス様を信じる人たちの希望の根拠だ。

 本日の聖書箇所に書かれている場面では,イエス様の周りに大勢の群衆がいて,その中に長血を患う女性がいた。彼女はイエス様を救い主と信じ,「衣に触れたら救われる」という信仰でいやされた。この時イエス様は「誰がさわったのか」とたずねられた。イエス様はそれが誰か知っているのに,自分から告白し,心からの感謝(人格的交わり)をしてほしいと思ったのだ。
 聖書にはいやしの奇跡が書かれている。それは,イエス様は愛の行為として,罪と同時に罪の結果である病いもいやされたからである。私たちはイエス様にいやしを願い,祈ってもよいが,祈りがきかれた時に恵みに感謝をささげ,公に証しをしているだろうか?
 イエス様との人格的な交わりに,ディボーション・メッセージへの応答がある。御言葉を通したイエス様の語りかけを自分自身にあてはめ,祈りと行動を通してこたえていくことを,イエス様は望んでおられる。メッセージで示されたことを表明し,イエス様の祝福を祈ってもらうのが決心の祈りだ。

  人前で証しをすることを敬遠する人がいるが,イエス様に救われた人が証しすることでイエス様のすばらしさが周囲の人に伝わる。先週のI執事のメッセージからも多くのことを教えられ,実行にうつしている人もいる。 皆さんも,受けた恵みを教会で,牧場で,家庭で,友人との交わりで証ししてほしい。