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『自分にどんなに大きなことをしてくださったかを』マルコ 5:1~20 [礼拝メッセージ]

LINE_ALBUM_20231219_231219_2.jpg6月4日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
              
 イエス様は「向こう岸へ渡ろう」と弟子達に言われ、向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。そこにどうしても救いたい人、悪霊につかれた人がいた。彼は自分で自分がわからない、自分がいやで仕方なくて、墓場や山で叫び続け、石で自分の体を傷つけ、誰もそれを止めさせることができない生き地獄状態にいた。悪霊はイエス様が神の子であることを知っており、イエス様には逆らえないので、せめて、この人から出て行った後、そこで飼われている豚の群れに入らせてくれるようイエス様に懇願する。豚に入った悪霊どもは二千匹ほどの豚を湖へなだれ込ませ溺死させてしまう。人々は彼が服を着て正気に返って座っているのを見て恐れ、イエス様にこの地方から出て行ってほしいと懇願した。彼らには一人の人の救いより、豚二千匹の損失の方が大きかったのである。同じように私達がイエス様を信じて喜んでいると、第三者の反応は冷ややかなことがある。身内がクリスチャンになると、家の宗旨と違う、家族の団らんが阻害されるなどと反対する。しかし、個人の信仰は憲法に保障された自由、心の問題は自分で決める権利がある。同時に、主を信じ主の愛を現していく時に主は道を開いて下さる。反対していた人がイエス様を信じる恵みを主は体験させてくださる。
 悪霊につかれていた人がイエス様にお供させてほしいと願うと、イエス様は「あなたの家、家族のところに帰りなさい。主がどんなに大きなことをしてくださったかを知らせなさい」と言われる。彼は自分の体験をデカポリス地方で言い広める。主が遣わされた所、そこに聞く人が待っている。この地方の人は以前の彼の状況をよく知っており、彼の大きな救いと変化を誰も否定できず、その反響は大きかった。私達も自分にしか語れない証をそれぞれ持っている。聖書のことを理論的に話すのが苦手な人も自分の体験は語ることができる。
 私達は説明を求める人には弁明できる用意をしておきたい。「聖書とはなに?」と聞かれて、皆さんはどう答えますか? 聖書は実に不思議な書物で、1600年かけて、40人もの人によって書かれたにもかかわらず、見事に統一性がとれていて、救い主イエス様について証言している。皆さんが福音を語る手助けになるように、これから週報コラムに連載していく。