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「ベレヤの人々の模範」使徒17:10~15 [礼拝メッセージ]

10月13日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 パウロとシラスは「世界を騒がせてきた者たち」と評され訴えられたが、そう評されて当然である。パウロは福音のダイナマイトによって個人の人生・家庭・地域社会を、イエス様の恵みによってひっくり返してきたからである。イエス様は「あなたがたは世の光です」と信じる者に言われた。光は目立つ。信仰をもって従って行く時に人々の暗闇を照らす光となる。パウロはうしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っていた。(ピリピ3:13・14)この様な生き様が人々に影響を与えないはずがない。私達は本当に完全燃焼し、ベストを尽くして生きているのか?と考えさせられる。
 ベレヤの人々は素直で熱心にみことばを聞いた。松下幸之助氏は成功するために大切なことを一つだけあげるとすれば「素直さ」だと言われた。素直さとは ①人の話を聞くこと ②聞いて良いと思ったことでリスクの少ない事はやってみる事 ③本当に素直な人はそれをやり続ける 信じているから結果が出る と教えられた。ベレヤの人々が熱心にみことばを聞く動機は問題や試練があったからとも考えられる。 問題・課題はその人をみことばに向けさせることに用いられることが多い。
 私達はなぜ聖書を読むのか?私達は肉体的にはパンが必要である。でも心の糧はみことば、すなわち私達がみことばに生きることができるように、それが聖書に親しむ最大の理由であるべきである。いざという時、三つの愛に生きることができるのか、イエス様ならどうされるかを実践できるのかが要である。先日、Fさん(教会員)のお父様の葬儀をキリスト教式でしてほしいと頼まれた。お父様はあるお寺の信徒で般若心経を心の支えとしておられ、葬儀には住職と信徒の方が大勢来られると聞いた。ならばと、私はこの方々に般若心経を唱えてもらい、その有名なフレーズを現代語に訳して説明し、敬意を表した。この方々も一緒に讃美歌を歌い、メッセージに耳を傾け、いい顔をして帰って行かれた。Fさんのお母様と弟さんは「尊重してくれてありがとう、感謝しています」と言われた。キリスト教の葬儀の目的の一つは、いかに遺族の方々にイエス様に心を開いてもらえるかにある。