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『危機が恵みに』使徒 14:8~20 [礼拝メッセージ]

5月19日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 ルステラの町でパウロが生まれながらの足なえの人を癒したのを見た群衆は、パウロとバルナバを神のように祀り上げようとした。二人は憤り、自分達も皆と同じ人間であると言ってこの行為を止めさせた。統一教会というキリスト教を騙った新興宗教を創った文鮮明はイエス様の十字架を失敗として、自分こそ救いを完成させる為に現代に現れたキリストだと言い、大きな社会問題になった。素晴らしい人を尊敬するのはいいが弱さ・欠点・判断を誤る人間を神としてしまうと悲劇が起こる。キーワードはそれ以上でもなくそれ以下でもなくである。
 また逆に謙遜と卑下とは違う。日本には謙譲の美徳という考え方があり、子どもや配偶者を褒めるよりけなすのである。日本の中高生たちに健全なセルフイメージが育っていないのもこういう日本文化のマイナス点である。褒めるということは嘘ではなくその人のいいところを認めて言葉で評価してあげる。人は加点法をもっていく時大きく伸びるのである。
 パウロとバルナバは神に祀り上げられるのを断っただけでなく、それを真の神様を語る機会と変えた。創造主について考えてみる。万有引力を発見したニュートンは宇宙は目に見えない偉大な神によって創られ存在していると信じている熱心なクリスチャンであった。また人間の血管は体中全て継ぎ合わせると約10万kmにもなり、しかもその働きの違いのため動脈は6重、静脈は3重のパイプになり、静脈には逆流を止めるための弁がある。驚きである。遺伝学の権威の村上和雄氏は、遺伝子を学べば学ぶほど細胞の働きは人間業ではなく人類を超えて奇跡としか言いようがないと言い、これを設計した方をSomething Great(偉大な、どなた)と呼んでいる。この方こそ真の神様である。
 一難去ってまた一難、パウロがアンテオケとイコニオムから来たユダヤ人たちに石打にされた。瀕死の状態にも関わらず弟子たちがパウロを取り囲んでいると、パウロは立ち上がり町に入って行った。パウロたちの宣教によってルステラの町にも弟子たちが出来、その中にテモテがいた。テモテの母や祖母が傷の手当てをしたと思われる。テモテはパウロに尊敬と感動を覚え二人の心が結び合った。災いの中にも主の守りがあり、逆にそれが用いられて生涯を共にする主の弟子が誕生したことは驚きである。試練は無い方がいいが、にもかかわらず試練が起こるのは主の赦しの中。その中でマイナスと思われることを逆に、神様はひっくり返して栄光と恵みに変えてくださる。危機は恵みに変えられるのである。