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「イエス様は天井破りがお好き」マルコ2:1〜12 [礼拝メッセージ]

5月5日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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  イエスが家の中でみことばを話していた時、中風(脳血管障害の症状)の人を治してもらおうと、4人の友人がイエスのもとに運んでくる。しかし戸口のところまで人がいっぱいで、イエスに近づくことができない。普通なら、あきらめるか待つかするところだが、なんとこの友人たちは、イエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。友人たちを動かしたのは、緊急を要する事態に際し「イエスに会えば何とかなる」という、求める信仰であろう。この行動に対し「イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、『子よ。あなたの罪は赦されました。』と言われた。」と書かれている。つまりこの中風の人は、友人たちの信仰によって、ただ癒されただけではなく、罪の赦し(救い)も与えられたというのである。もちろん救いの土台は個人的な信仰によるが、私たちが本当に人の救いを願い、全力を尽くすなら、救われる希望があるのだ。そのために必要なのは、まず祈ること。大切な人の救いのために粘り強く祈り続けることで、救いの道が開かれる希望がある。
 この友人たちがしたことは、障害となっていた壁を突破したこと(英語で表すなら「ブレイクスルー」)である。つまり課題は、人々とイエスを隔てている壁を取り払うことであり、教会にとって、そのためのポイントは「地域にどう仕えるか」ということ。私たちの教会の幼児教育やJF食堂も、地域に仕えるためのブレイクスルーとして取り組んでいる。
 またこの友人たちは、中風の人を担いでくるという体力的犠牲、屋根をはがしたり修復するための経済的犠牲、怒られたりひんしゅくを買うかもしれないという精神的犠牲を払っている。神の愛の背後には、イエスの十字架の犠牲があるように、愛には必ず犠牲がある。そしてそれは、人を変えるパワーを持つ。救いの土台は個人の信仰によるが、そこに至るまでの周りの人の祈りや働き、犠牲を用いてくださる主に期待していこう。