SSブログ

神の評価  Ⅰコリント4:1~5 [礼拝メッセージ]

7月17日礼拝メッセージ(中村伝道師先生)より

0626.jpg

 派閥争いをしていたコリント教会の人たちに、パウロは「私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。」と言っている。「神の奥義」とは「福音」のことであり、「管理者」とは「活用することを委ねられた者」のこと。つまりこれは、コリント教会の人たちだけではなく、クリスチャン全員に当てはまることでもある。

Ⅰコリント12章6~11節を見ると、私たち一人一人には違った働き、賜物が与えられているが、すべて同一の御霊の現れであると書かれている。つまりそれぞれの違いは神からくるのであって、その多様性を生かして、福音の良き管理者となることが、神の望んでおられることなのだ。

そして「管理者には、忠実であることが要求されます。(4章2節)」とある。「忠実」とは、「真心を尽くして、真実に働くこと」であり、またギリシャ語で「ピストス(信頼できる)」という意味がある。神が私たちに求めておられるのは、能力や結果ではなく、神に信頼し、自分の思いを尽くしていくことだというのである。

また「私をさばく方は主です。…主は、心の中のはかりごとも明らかにされます。(4章4~5節)」とあるが、「さばく」とは「調べる、評価する」という意味であり、「心の中のはかりごと」とは「神による計画、みこころ」という意味である。つまりパウロは、自分を評価してくれるのは神であり、しかもそれは、結果として現れなかったとしても、神のために立てた志や、労したことまですべて知っていてくださるというのである。

私はこの春、大阪から名古屋まで通う5年間の神学校生活を終え、無事卒業することができた。自分の能力の足りなさに失望したり、人の評価が気になったりと、苦しいことも多かったが、その中で私を支え続けたのは、教会から送り出してもらっているという使命感だった。神はそんな私の思いを評価してくださり、卒業まで守ってくださった。能力や結果を求められるなら、私には全く自信はない。しかし、だからこそ神に信頼し、神の守りを体験することができた。

私たちにはそれぞれ、その人にしかできない働き、任務が与えられている。それは人には見えないかもしれないし、思うように結果がついてこないかもしれない。しかし神は、私たちの心の中の思いや、小さな働きの一つ一つも覚えていてくださり、終わりの日に評価してくださるのだ。このお方に信頼し、与えられている任務に忠実に取り組んでいこう。