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滅びることなく(最も大切なこと) ヨハネ3;16,Ⅰコリント15:1~11 [礼拝メッセージ]

7月10日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

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 ”心の貧しい人は幸いである。その人は神の国を見るからである。”
 これは、自分の弱さや罪を知る人は、自分でどうすることもできないので神様の方に向かうから。放蕩息子のたとえ話で、彼は試練、苦難に会った時初めて目覚めが与えられた。人は苦しみを嫌い、涙を敵だと思いがちだが、実は苦しみは祈りへの先導車であり、涙は神様への案内人である。だから、神様は私たちに試練を訓練として与えられる。苦しみは私たちを神様に導く手綱として用いられる。

 また、人は必ず蒔いた種を刈り取らなければならない。これは聖書の原則である。しかし人間は自分で自分を救うことはできない。こんな私たちの罪の身代わりとして、イエス様が十字架で死んでくださった。これは驚くべき恵みであり、恵みとは、値なしに与えられる祝福である。

 イエス様が十字架で死んでくださって復活された、これが最も大切なことである。なぜなら、イエス様が死んでそのままなら、私たちの罪は赦されていないことになる。イエス様は死に勝利されて三日目によみがえられた。これが福音であり、今もイエス様は復活されてからずっと私たちと共におられる。私たちの使命は、このイエス様の力を信仰を持って体験し、証ししていくこと。

 過去にイエス様を裏切ったペテロや他の弟子たちはみな殉教の死をとげた。またパウロは変えられ、だれよりも熱心に福音のために働く者となった。これは彼らが復活のイエス様に出会って、永遠のいのちを与えられることに確信を持ったからである。

 私たちはイエス様に会ったこともないのに信じている。これは聖霊による奇跡であり、恵みである。クリスチャンは死で終わらない。死ぬとイエス様にあって復活することができる。私たちの人生も同じ、人生に行きづまり、もうこれ以上は無理だという時、神様に助けを求めると、イエス様の復活の力が動き出す。今日も私たちは復活の力をいただいて進んでいきたいと思う。