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『四千人の給食』 マルコ 8:1~10

10月22日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

 イエス様が再びデカポリス地方に行かれた時、男だけで4000人もの人々が集まり三日間も食事もせず、イエス様の話に聞き入っていた。なぜ群衆はイエス様のもとに来たのか?それは以前、多くの悪霊につかれ、墓場で昼夜叫び続け、自分の体を傷つけ暴れ、誰にもどうすることもできなかった人を、イエス様が悪霊を追い出し癒されたからである。本人は正気に返り、家族も癒され回復した。人々はそれを目撃し、また本人の証により言い広められていた。そのイエス様が今度は耳が聞こえず話すことのできない人を癒されたと聞いたので、大勢の群衆が集まって来たのである。
 この三日間ろくに食べていない群衆をイエス様はかわいそうに思われた。イエス様は私達の霊的必要だけでなく、物質的・肉体的必要も心配してくださる。この時期のイエス様の関心事は弟子達を訓練し成長させることである。それでイエス様は心配事を口にし、「5000人を満腹にされたあなたですから大丈夫ですよね」と弟子達の信仰を引出したかったのである。それなのに弟子達はあの5000人の給食の奇跡の体験を活かすことができなかった。5000人の給食はイエス様の奇跡の中で四福音書すべてに記されている唯一のもので、それほど弟子達にとって、自らの手で群衆に配り、感謝され感動した奇跡なのに、弟子達は見事な霊的記憶喪失症になっていたのである。イエス様は4000人を7つのパンで満腹にされた。
 イエス様はどんなにがっかりされたことか。しかし、この弟子達を私達は笑うことができない。私達も困難や試練を恵みにより乗り越えてきたのに、また同様な困難・試練に遭う時、あたふたとしてしまう。私にとっては葬儀がそれである。葬儀はいつあるかわからず、メッセージを考え、失礼がないよう配慮し、思ってもみないリクエストにも応える。でも様々な経験から「主が何とかしてくださる」という信仰が与えられつつある。
 弟子達は「こんな人里離れたところで~」と言ったが、私達もそれを言ってもよい。ただ、「でも、5000人を満たしたあなたなら何とかしてくださるでしょう」と返してほしい。私達は物事を悲観的に捉える傾向がある。しかし、イエス様にあって「でも」と前向きなことばで思考を変え、感謝し、プラスにひっくり返していきたい。