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『バプテスマのヨハネの迷い』 ルカ7:18~28 [礼拝メッセージ]

2月14日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 イエス様がそのはたらきによって、ガリラヤ周辺に名をとどろかせている時、バプテスマのヨハネはヘロデ王によって捕らえられ、幽閉されていた。イエス様の評判を聞くにつれてヨハネは、「彼は本当に救い主なのだろうか?」と迷うようになり、弟子を遣わせて直接、「おいでになるはずの方はあなたですか」と聞いた。その問いに対するイエス様の答えは、「自分たちが見たり聞いたりしたことを、ヨハネに伝えなさい」であった。そして旧約聖書に、バプテスマのヨハネがどのように書かれているか、人々に語った。つまりイエス様は私たちに、「みことばをもって判断しなさい」と言われたのだ。
 ヨハネという人は大変謙遜であった。自分が栄えるよりも、イエス様が栄光に溢れることこそが喜びであった。それに対しイエス様の弟子たちは、自分のためのご利益的な信仰によって従っていたが、イエス様の十字架により、彼らの信仰が変えられ、「自分のための神様」から「私の主」へとなった。
イエス様はヨハネのことを「女から生まれた者のなかで、ヨハネほど偉大な者は誰もいません」と言われた。彼の素晴らしいところは、イエス様のため道を備え整えたこと、「サポートする」という役割に徹したことである。
 ジョイファミリー幼児園では園児の母親に向けて、「子育てセミナー」を行っている。その中で、「子ども達にお手伝いをさせて下さい。そして、お手伝いをやってくれたことに対して、思いきり褒めてあげてください」という宿題を出した。そうすると子どもたちは、「アイロンをかける」、「雑巾を縫う」、「カレーの玉ねぎを包丁で切る」などの難しいことがらを喜んでやってくれた。これはまさに、母親が子どもに対して「サポート」したことへの結果なのだ。
 大人の皆さんもぜひ、この子ども達のように「心躍らせて喜んで行う」ということにチャレンジしていただきたい。そして子どもや部下など、立場が下の者に対しても、「人を自分よりすぐれた者としなさい」とみことばにあるように、互いに相手を尊敬し、へりくだり、三つの愛(神への愛、隣人への愛、自分への愛)を実践していただきたいと願う。