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「叱られたペテロ」使徒10:9〜24 [礼拝メッセージ]

8月26日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

 ユダヤ人は救い主が生まれる民族として選ばれ、食物規定はその純粋性を保つためのものだった。それ故イエスによって成し遂げられた後は、今度はその御業が全世界へ広がっていくために、食物規定をこわし、異邦人と食事を共にするための新たなステージになった。そのことをペテロが悟るために、神は御使いを通して、異邦人のコルネリオにペテロを招くように伝え、幻によってペテロに食物規定が無効になったことを示した。
 そして、ちょうどペテロが幻について思い惑っているところに、コルネリオの使いが到着するという絶妙なタイミングを備えてくださった。私たちの生活の中でも「タイミングを逃さない」ということは大切である。子育てを例に考えてみると、子どもが喧嘩をした時、すぐにとめてしまうのでなく、ある程度見守り、どちらかが危険なことをした時に、しっかり叱るようにと専門家は言う。そういう体験があってこそ、人と対立した時の対応の仕方や、危険な行為について学ぶことができるからだ。
 食物規定にこだわるペテロに対し、神は「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」と一喝している。人間は神の被造物であり、主権は神にある。これも子育てに当てはめて考えてみると、親がルールを決めて、しっかり守らせることが大切になる。子どもの抵抗に振り回されて親がルールを曲げてしまうのは、子どものためにならない。また、子どもを褒めることはもちろんだが、ルールに基づいて、叱るべき時にはきちんと叱ることもまた大切である。適度な挫折を乗り越えてきた人は「レジリエンス(逆境に負けない力、心の復元力)」が強くなるからだ。
 コルネリオは、異邦人である自分の所に、本当にペテロが来てくれる保証がないにも関わらず、親族や親しい友人たちを呼び集めて待っていた。それは神に信頼していたからであり、見ずして信じる信仰によるものだった。私たちはどうだろうか?神に信頼し、やるべき準備をやっていく時、神は必ず応えてくださるお方なのだ。