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人類の希望の星  マタイ2:1~12 [礼拝メッセージ]

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9月18日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

 東方の博士は救い主に会うため、100人以上、1000㎞以上、一年以上かけてバビロンからエルサレムへ来た。何ゆえにイエス様の誕生を喜んだのか?バビロンには、多くのユダヤ人が住んでいて、その中に預言者ダニエルがいた。ダニエルはバビロンの学者のリーダーであり、救い主の誕生を預言していた。博士たちは聖書を知っていたのだ。博士たちは救い主に出会った時、この上もなく喜んだ。自分の人生、全てを捧げても惜しくないような方に出会ったのだ。
 先日、当教会に来られた、辻調の杉浦氏は以前に比べ、とても自信に満ちあふれ、なんと伝道メッセージを語られた。彼は本当のイエス様に出会い、この方こそ、救いがあると確信を持ったのだ。それまではクリスチャンであったが本当の確信にまで至っていなかった。しかし、今、杉浦氏は通信教育で聖書を学んでいるとのこと。御言葉を通してイエス様は間違いないお方なのだと確信を持った。
 バビロンの博士たちは、仕事も財産も捨て、一つの「星」の魅力に捕らえられた。彼らの全てを捨てても惜しくはないと思えるくらい、イエス様は素晴らしいお方である。全人類の希望の星であるイエス様に出会って見い出していただきたい。

ヘロデは自分の王座をその者に奪われるのではないかと恐れた。一旦、自分の能力や知識、立場、持ち物を誇りとすると「星」を見えなくし、それが崩れた時、初めて「星」が見えてくる。自分に自信がある人は、その「星」が見えないのだ。自分が無力だとわかり、心を砕かれた時、信仰を持つことができる。試練のない時はプライド、能力で「星」は見えずそれが砕かれた時に「星」は見え、イエス様に導かれる。

この「星」は、今でいうと何になるか?人、書物、試練かもしれない。私たち自身が導きの「星」となって用いられたい。ヘロデ王や学者たちは、聖書を知っていて救い主がベツレヘムで生まれるということも知っていたが知識というだけで、本当の意味での出会いはなかった。この教会にも知識としてイエス様のことは知っていても、本当の意味でイエス様との出会いをしていない人がいるのではないか。御言葉といろいろな出会いを通して、これこそ本物だと自分の全てを捧げても惜しくはないと思える、そういうイエス様と出会っていただきたいと心から願う。