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この小さき者のひとりに マタイ25:35~40 [礼拝メッセージ]

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8月21日礼拝メッセージ(山本秀人執事)より

 新任時代、私は教師のモデルを捜し求め、打越師の著書から、師が「この小さき者の一人にしたのは、わたしにしたのです。」の御言葉を原動力とされているのに感動し、クリスチャン教師としてのスタンスを見い出した。
 しかし初めて高学年を担当した時、挫折を味わうことになった。それは、子供たちに自分の価値観を押しつけ、反発しついてこない子供たちに逆切れし、もがき苦しみ、もう少しで教師の登校拒否の一歩手前まで行った。
 ところがある日、「苦しみに会ったことは私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」の御言葉が与えられ、自分の傲慢さに気づかされた。

 現在、私は平野区の小学校で2年生を担任している。時に起こる子供たちのトラブルや、こみ入った問題を冷静に整理していくためには、まず私自身が整えられていなければならない、そのために自転車での通勤途上、自分が整えられ、子供たちに愛を持って接することができるように祈っている。

 3年前には特別支援学級の担任をした。子供たちが少しづつ成長していくことに、保護者の方と喜びや苦しみ、悲しみを共有した。
 教師の精神疾患が年々増加している中で、私は教会に集うクリスチャンで本当に良かったと思う。礼拝では神様から次の一週間を送る新たな力を得、またセルではメンバーによって祈られ、励まされた。これは私にとって幸せ、強みである。
 昨年一月に教え子が亡くなり、とてもショックを受けた。今は目の前にいる子たちと一緒の時間を大切にし、できる精一杯をしていきたいと感じている。

 今は、大人も子供も生きにくい時代。学校では、どの子ものびのびと自分を表現できるように、少しでも子供たちの内に秘めているものをひき出す教育をめざしていきたい。
 この小さき一人一人の子供たちに係わっていくことは、私にとってイエス様に仕えていくことだと思っている。このイエス様がいつも私と共にいてくださるのが心強い。私を守ってくださるこのお方に信頼しながら、これからも生きていきたいと願っている。