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『賛美は、感動から』使徒15:36-41 [礼拝メッセージ]

7月7日(賛美礼拝)礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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賛美は、どこから生まれるのだろう。みことばに従い歩むとき、そこに生きて働いておられる神さまに触れ、湧き上がる感動と賞賛が賛美となって溢れ出すとき生まれてくる。
パウロとバルナバは第一回伝道旅行でエルサレムに逃げ帰ってしまったマルコを再び連れて行くかどうかで反目し大喧嘩となった。父親の厳しさを持つパウロ、母親のようにマルコを育てたいと願うバルナバの意見の対立から別行動をとることになり二組に分かれての伝道旅行を行った。しかし、パウロとバルナバの激しい反目の原因は人間的なものではなく主のためには互いに譲れないという信仰的な理由があった。
  二組に分かれての伝道旅行は全世界に福音が宣べ伝えられるという結果となった。マイナスと思われる事さえ神さまは用いて益としてくださる。マルコはバルナバに育てられ期待に応えて伝道者として成長し、後にローマ伝道のときペテロの助手として用いられ、ペテロのメッセージを通訳した記録がマルコの福音書だ。
  現代でも人を育てるときパウロの厳しさとバルナバの優しさが必要だと聖書は教えている。マルコが立派に育った時、パウロとバルナバはお互いのすばらしさを主に在って判断し評価している。怒っても、喧嘩してもいい、その後どのように行動してゆくかが大切なのだ。
櫻井圀郎師は「キリスト教は世界最大の宗教だが、宗教はまやかしであり自分が潰してやる」という思いから土台である聖書の中に偽りを見つけようと毎日躍起になって読み続け、逆にイエスさまを信じた。法律家としての視点から聖書の中にある真実に触れ、復活、天地創造は事実だと確信し、みことばに従い主の働き人として活躍している。
  神さまのみことばに従うという原点に立つとき、主はマイナスと思われる事さえ用いて櫻井師のような人を救いに導いてくださる。
  今日、賛美礼拝が行われた。人間の思いを遥かに超えて驚くばかりの恵みを与え、導びいてくださる主に日々触る体験をするとき感動が生まれ、心からの賛美を主にささげた。賛美は、新しい体験、感動から湧き上がる。
そしてそれはみことばの実践から始まる。みことばに従い生きる教会として3つの愛を実践し心からの賛美を主にささげてゆこう。