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「エルサレム会議(信じるだけで救われる)」 使徒15:1~11 [礼拝メッセージ]

6月23日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 イエス様は天に帰られる前に,福音を述べ伝えるように言われた。その責任を託された初代教会に,「救いの条件は信仰のみか,行いが必要か」という論争が起き,解決するためにエルサレム会議が開かれた。ペテロは,異邦人がイエス様を信じた時のご聖霊の働きを証し,「律法を完全に守ることができる人はいない,ユダヤ人も異邦人も恵みにより救われる」と発言した。
 人間は救われるには行いが必要だと考える。しかし,神様に受け入れていただく方法は,罪の身代わりになってくださったイエス様の十字架しかない。エペソ2:8~9では,救いは神様からの一方的な恵みであり,行いによるのではないことが書かれている。行いの条件をクリアできる人は誰もいない。十戒は「義人は一人もいない」ことを教え,罪深い自分を救ってくださるイエス・キリストを待ち望ませ,救われた人の生き方の道標にするためである。私達の救いはただ信仰によるが,イエス様は救いの完成のために人知では計りしれないほど大きな犠牲を払ってくださっている。
 また,ヤコブは異邦人クリスチャンに対して「ユダヤ人クリスチャンの気持ちをくみとり,偶像礼拝などでつまずかせないよう配慮してほしい」と言った。私達の教会においても,人をつまずかせないよう配慮している。
 エルサレム会議の決定を聞いた人々は,自分達の信仰に自信と喜びを持って伝道し,福音が広まっていった。また,この知らせを諸教会に伝えるため,パウロとバルナバは第2次伝道旅行を決めた。
 人の集まりには問題が起こる。教会に問題や課題がある時,イエス様のみこころに従って解決すれば,教会の歩みに大きな祝福がもたらされる。

「続・尊敬されたい男」エペソ5:33 [礼拝メッセージ]

6月16日 父の日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

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 この箇所にあるように、聖書は「夫には妻を愛するように、妻には夫を敬うように」と、違うことを命じている。父の日にあたり、この違いについて考えてみたい。
男性であっても女性であっても、自尊心(プライド)は持っているが、特に男性のツボはプライドにあると言える。それは一見大人しく見える男性も同じであり、男性はプライドが傷つくことに弱く、そういったことが続くと、感情が爆発してしまうこともある。
男性は主体性、責任、積極性を重んじ、家庭においても主人としての責任を果たしたいという欲求を持っている。そして、そういう欲求を満たしてくれる女性を大切にしたいと思っている。自信がない時に「あなたならできるよ」と言ってくれる女性がそばにいれば、頼もしい男性になってくれるだろう。これは、お母さんが男の子を育てるときにも効果的だ。
男性は周りに認められ、称賛されると伸びるし、そういうものを与えてくれる人に報いたいという思いを持っている。女性の皆さんには、ぜひ男性をほめてあげてほしい。そしてそれは「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。(ルカ6:38)」とあるように、男性からの愛となって返ってくる。




『最も必要な聖霊の働き』  使徒2:1~8、42、46、47 [礼拝メッセージ]

6月9日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 本日はペンテコステ記念礼拝だ。その日、弟子たちは聖霊に満たされて、それぞれが他国の言葉で語りだした。イエス様は天の御国に帰る時彼らに、「父の約束を待ちなさい」と命じられた。この約束、全世界にイエス様を伝えるために遣わされたのが、イエス様と同じ能力を持ち、かつ時間と空間を超越した存在である聖霊である。このご聖霊、私たちの祈りを喜び、答えて下さるお方なのだ。
 しかし、中村副牧師がそのメッセージで伝えたように「祈りには満期がある」。コップに水を注ぎ、満杯になるまで時間がかかるように、祈りにも待ち時間が必要だ。今は便利な世の中になり、欲しいものはすぐ手に入り、人は待つ力がなくなっている。そんな中でもみ心を信じ、待ち、祈ることが何よりも大切なのである。
 主はまた、私たちの生涯に「不思議」を与えて下さるお方でもある。サムソンの父マノアに現れ、「私の名は不思議という」と言われたように。私たちの教会には、まさに不思議な主の御業により導かれた人が多い。今日転入会をしたT夫妻は、モンテッソーリ教育に興味がありうちの教会のホームページを見た事がきっかけとなった。自分たちに合う教会に出会えるように祈っていたのだ。ある男性は奥さんがガンを患った事で、教会の牧師室にやってきて「祈って欲しい」と伝えた。またある男性は学生時代いじめにあい、人生に絶望した時にクリスマスのキャロリングをする一行に出会い、教会にやってきた。また他宗教で学びを受けていたが、とあるドラマの台詞に感銘を受け、学びを受けなおし信仰を持った男性もいる。この様に主の不思議は枚挙にいとまがない。
 とはいえ、自分は伝道するのは苦手だとする人もいるだろう。そんな人は自分のビフォーアフター、信仰を持つ前と持った後でどう変えられたかを、ありのまま語ればいい。これなら誰にでもできるし、理屈ではなく感性に訴えることができる。自分の力ではなくご聖霊が働いて下さるから大丈夫、今教会に必要とされているのは、この人間の理性、能力をはるかに超えた、このご聖霊の力なのである。
 

ペンテコステ礼拝 [ウェルカムボード・礼拝堂装飾]

6月は教会創立月です。

6月2日の信仰感謝では,洗礼を受けてから10年目,20年目,30年目,40年目の節目を迎えた方をお祝いし,信仰生活をささえてくださった神様に感謝するときを持ちました。


6月9日のペンテコステ礼拝では,
聖霊様がこられたことをイメージする礼拝堂の装飾が行われました。

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『パウロたちのしたことは→教会形成』使徒の働き 14:19~28 [礼拝メッセージ]

6月2日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 パウロは伝道旅行中、ルステラで殺されそうになり、瀕死の重傷を負う。 そのルステラにパウロたちは引き返してきて、弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧めた。パウロが危険をおかしてまでしたかったのは、教会形成であった。 教会形成がされない時、信仰者が世に流されて信仰を失ってしまうからである。 痛みなくして成長はない。私達は信仰ゆえにバカにされたり、誤解され迫害されることがある。イエス様も「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」ヨハネ16:33 と言われた。 ダビデはイスラエルの二代目の王として主に選ばれたが、正式に就任するには時間のズレがあった。ダビデは初代の王サウルに執拗に追い回され命を狙われた。しかし、この時にダビデの信仰は研ぎ澄まされ純化された。サウルに復讐するチャンスがあったにもかかわらず、主が立てられた器を殺すことはできないとサウルを御手に委ね、主に信頼した。そして荒野の訓練が終わった時、正式に王に就任したのである。
 また、パウロたちは教会ごとに長老たちを選んだ。私達の教会も聖書の教えに従って、三つのポイントで執事を選ぶ。①聖霊(信仰)と②知恵に満ちた③評判の良い人(信徒に、地域に、牧師に)を牧師が選んでいる。同じように牧者が選ばれ、執事会と牧者会が車の両輪となり、私達の教会は前進している。メンバーは執事や牧者の姿をモデルとして見ることになる。
 パウロたちは自分たちを送り出してくれたアンテオケに帰り、伝道旅行の報告をした。伝道旅行のために祈り、経済援助したアンテオケの人々は、報告を聞いて喜び、主を崇めた。また、宣教地の人々との仲間意識・一体感が与えられた。 私達の教会ではお互いを知り、牧場を超えた信徒の交わりをし、主にあって一つ心となってもらうために、リトリートや新いのちの道の学びの時に、お題を出してグループで語り合ってもらっている。 
 「決心の祈り」に出て祈ってもらい、変化のあった時には、ぜひ牧師に報告してほしい。牧師は折に触れてそのことを祈っているので、主がどう介入・解決されたかを知り、主をほめたたえたい。牧場や家庭でも報告し合い、そのことにどう関わり協力することができるのか考えてほしい。報告の大切さである。