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『地の塩、世の光(クリスチャンの使命)』マタイ5:7-16  [礼拝メッセージ]

7月31日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

 みことばに「私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」とある。許される事は不可能な罪深さなのに、全てをご存知でありながら高価で尊いと言って下さる。その証明として、一人子イエス様を私達の罪の為に十字架にかけて下さったのだ。この恵みに感謝し、この愛に応えたい気持ちになる。それが私達の信仰と奉仕の原点である。
 私達の罪を許し、清い者とみて下さる神様によって清い心を持つことができ、他の人との平和な関係を築こうと思える。これらを発揮するのは牧場であり、魂の救いと弟子化の実践の場である。人が人格的に成長するには神様と人、人と人の両方の関係が必要である。初代教会でも礼拝と家での集いでの交わりを持っていた。牧場は現代でも主にある豊かな交わりと成長の場であると証から確認したい。ある女性は離婚などの人生の苦難を経験し、占いにすがり鬱を発症したが、近所の教会員の導きで受洗をした。鬱の体調不良の中でも牧場の交わりに参加でき、心が癒された。また、生きづらさの原因が成育歴の影響と判り、ありのままを受け入れてくれる牧者や牧場メンバーの愛と寛容によって回復していった。この女性の牧者は、成育歴からの生きづらさや病気の苦しみの経験が無く、対応がわからず困っていたが、イエス様が憐れみ導いて下さった。牧者の代わりに、牧場メンバーの中でそれらの経験がある人が相談にのり、自身の試練や苦難の証をして寄り添ってくれた。牧場はお互いを受け入れ、癒され、賜物を生かして成長出来る場であるとこの事からわかる。
 今日洗礼を受けた方も牧場によって変えられた。関東から来られた当初は大阪特有の距離感や文化に抵抗があったが、牧場の全てを受け入れて笑いに変える雰囲気に触れ、次第に心が開かれていき、洗礼に至った。私達が人格的に変えられる為に必要な事は二つ。神様を信じる事と主にあって、支え合い学び合い高め合う交わりである。コロナ禍で集うことに制限があるが、それぞれの牧場に大きな恵みがありますように。