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「神の証人」イザヤ43:10~13

7月18日礼拝メッセージ(中村牧師先生)より

 預言者イザヤの時代は、バビロン捕囚すら実現していない。しかし、そこからの帰還と、さらにその先に来られる救い主、十字架による救いまでも預言されている。そしてそれが成就し、実現していることから、聖書はみことばの真実さを証明してくれる。つまり聖書そのものが神の証人であると同時に、この聖書を守り、伝え続けた人々がいるからこそ、私たちが福音を知ることができたのである。
 10節、12節に「あなたがたはわたしの証人」という言葉がある。神を信じた人々が「神の証人」となり、預かったみことばを語り伝え、私たちのところまで届けてくれた。そうして今度は、新たに神の証人となった私たちが、周りの人たちに伝える役割を担っていく。松原聖書教会は、今年で創立50周年を迎えるが、宣教と弟子化、みことばの実践のために様々なチャレンジを続けてきた。この50年の歩みそのものが、神の証人としての歩みであろう。
 そして何よりも、イエス・キリストご自身が、究極の「神の証人」である。神は偉大過ぎて、私たちにははかり知ることができない。そんな私たちのために、神ご自身が人となってこの世に来てくださり、イエスを見ることで、神を知ることができるようにしてくださったのだ。
 10節に「わたしが選んだわたしのしもべ」という言葉がある。これは神の民であるイスラエル共同体を指すと同時に、その先にイエス・キリストを指し示しているといえるだろう。イザヤ書には「神のしもべ」という表現がいくつも出てくるが、その条件すべてを満たすことができるのは、イエスしかいない。イザヤ書全体が、神のしもべとしてのイエス・キリストの姿、贖いの死、復活による救いを指し示しており、信じる者に解放を与え、約束の地である神の御国へと招き入れてくださること、そしてその道は、すべての人に開かれているという希望を伝えている。その証人としてきてくださったイエスは、今も生きて私たちと共にいてくださる。私たちもまた、神に信頼し、みことばを実践することを通して、神の証人となる教会、また一人一人でありたい。