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「力づける教会」ルカ22:24~34 [礼拝メッセージ]

3月28日礼拝メッセージ(中村牧師先生)より
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 イエスが十字架への使命に向かって進んでいる中、自分たちのうちで誰が一番偉いのかと順位争いをしたり、イエスの本当の思いが理解できず「あなたとご一緒なら、覚悟はできております」と的外れなことを言う弟子たちの姿がある。しかしイエスは、そんな弟子たちを愛し「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と励ましを与える。この箇所の弟子の姿に、私は自分の姿が重なって見える。なぜなら私自身、イエスの恵みの大きさがわからず、教会から離れてしまった経験があるからだ。クリスチャンホームに生まれたが、思春期に教会を離れ、大きく道を外した私が、今こうして牧師としてたてられているのは、両親と教会の方々、そして何よりイエスの祈りがあったからに他ならない。
 神は聖書を通してみことばを語ると同時に、みことばを実践する教会を通して、ご自身のみわざを現してくださる。そういう意味で、「教会は聖書の別冊」ということができるだろう。私自身がその証しのひとつであり、教会に育てられて今がある。牧師になるために名古屋まで神学校に通っていた時代、勉強の難しさに落ち込むことが多かったが、そんな私を支えてくれたのは、教会から祈られ、送り出されているという思いだった。そのモチベーションがあったからこそ、自分の弱さで投げ出してしまうことなく、神学校を卒業することができた。それから10年が過ぎたが、教会に祈られ、育てられて今がある。
 この1年間を振り返ると、コロナ禍でオンライン礼拝にせざるを得なかった時期があったり、やむを得ず礼拝に出席できない方々もいる中でも、信仰の現れのひとつである献金が、ほぼ100%満たされた。また、各牧場で宣教師支援も続けている。教会員一人一人は、個性も、救われた経緯も違うし、家族の中で初めて救われた第1世代、あるいはクリスチャンホームに生まれた第2世代以降といった違いもある。しかし、それぞれに神の導きと恵みがあり、イエスと教会の祈りがあって救われたのである。共にみことばを実践し、神の栄光を輝かせ、恵みと希望を流していく教会を建てあげていきたいと願っている。