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『虫にかまれて死んだ王』 使徒の働き 12:20~24 [礼拝メッセージ]

12月9日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 ヘロデ王はペテロを会衆の面前で殺し、自分の人気を高めようとしたが、ペテロは不思議な方法で救出される。ヘロデはがっかりし、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するよう命じ、そして、ユダヤからカイザリヤに行き、そこに滞在した。 
  その頃、飢饉があり、海岸べりで山地に囲まれ、耕地を持っていないツロとシドンは、敵対関係であっても、豊かな穀倉地帯を持つヘロデにすり寄り、食糧を分けてもらいたかった。ヘロデが銀のコスチュームで現れ、演説を始めた時、人々は「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続け、ヘロデは虫にかまれて死んだ。 この事件はユダヤ人の歴史家ヨセプスも記録している。
 注目したいのは、ヘロデが初代教会を迫害したからではなく、神に栄光を帰さなかったから、神に打たれたことである。つまりヘロデが自らを神としたから打たれたのである。人間の罪の根本は「自らを神とする」ことである。アダムとエバが禁断の木の実を食べた動機は「これを食べると神のようになれる」であった。ヘロデが王家に生まれたのも、ユダの国が飢饉の中でも食糧が確保できたのも全て神の恵みであるのに、ヘロデは自分を誇った。
  神は高慢を嫌われる。でも、人間誰しも自慢したい時、誇りたい時ある。誇っていい。ただ「 誇る者は主を誇れ」と書いてある。パウロは「私は他の使徒たちよりも多く働きました」と誇った。「しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです」と言った。志を立てさせ、事を行わせてくださるのは主。ならば、私達は主を誇っていい。
  神の最も激しい審判は「ほったらかし」である。親はその子を正しく育てようと訓戒を与え、時にはムチを与える。それでも言うことを聞かないと「好きにしろ」と言う。これは親として最も悲しく厳しい宣告である。 しかし、まことの神は救われた私達を「好きにしろ」と放置しない。 「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と約束された。そして愛する子を訓練される。私達が高慢になるとゴツンと砕かれる。私達は自分の力で生きているように見えても、自分でどうすることもできない試練や困難にぶつかると、神に叫び求めるしかない。高慢になっても神が取り扱われるから大丈夫なのである。
  ヘロデは自分を神としたゆえに虫にかまれて死んだ。一方、イエス様は全世界の創造主、王の王であるにもかかわらず私達を救うため不自由な人間となり、私達の身代わりになり十字架で死なれた。神が人間として生まれてくださったのがクリスマスである。私達はこのイエス様のために「自分にできることを精一杯させていただきます」と示されたことを実行し、実行させてくださった主をほめたたえたい。