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「Be Joy Family」ルカ22:31〜32、ヨブ42:1〜17 [礼拝メッセージ]

9月16日礼拝メッセージ(M執事)より

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  私は中学から教会に通うようになり、高校の時に受洗したが、大学で教会を離れてしまった。それから10年後の1995年に初めて松原聖書教会に来たが、その時の礼拝メッセージがルカ22:31〜32だった。イエスは、自分が捕まった時に弟子たちが逃げてしまうことを知っていながら、「あなたは必ず立ち直る。なぜなら私が、あなたのために祈ったから。」と確信を持って伝えている。同じようにイエスは、私が教会を離れることも知っていて、祈ってくれていたのだと語りかけられたように感じ、これが松原での教会生活のスタートとなった。
私は幼少の頃から運動が苦手で、勉強も得意なわけではなく、教会も途中で離れてしまったことから、自分に対して「何事も中途半端」というセルフイメージを持っていた。しかし負けず嫌いな面も持っており、大人になるにつれて「人の役に立たなければいけない」という価値観になり、人に何かしてもらう、世話になるということが非常に嫌だった。そんな中で辛い体験をし、ひどく落ち込んで、友人との関係もシャットアウトする状態になってしまった。松原聖書教会に来たのはその頃で、最初はぎこちなさもあったが、様々な奉仕を通して居場所が与えられていったと思う。
1996年の宣教集会で、ヨブ42:1〜17からのメッセージを聞いた。ヨブ記は37章までずっと「なぜ苦しみがあるのか」というヨブの問いかけであり、その間ずっと沈黙していた神が、38章から突然語り始めたのは「私の摂理をあなたは知っているのか」ということだった。そして、直接的な答えは分からなくても神の偉大さと摂理に信頼し、悔い改めたヨブは、以前よりも祝福される。それは失った祝福の埋め合わせではなく、ヨブを愛しているという神からの表現なのだと思う。私も、以前の苦しみの理由は未だ分からない。しかし、神の摂理に任せようと思えるようになった。
私は福祉の仕事をしており、教会でも高齢者の方が楽しめる奉仕を担当している。どちらも自分がお世話をするというだけでなく、自分自身が励まされたり、助けられたり、何より楽しませてもらえるように変えられてきた。社会学者のマッキーバーは、社会集団には「ある目的のために意図的に作られた組織(アソシエーション)」と「同じ関心や生活のあり方を持ち、自然に集まる集団(コミュニティ)」の2種類があると言う。ジョイファミリーチャーチはコミュニティであり、一人一人は神によって招かれてここにいるのだ。