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『ピリピ教会の始まり』(時を活かし、賜物を活かす)  使徒16:11~15 [礼拝メッセージ]

8月11日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 パウロ一行が伝道旅行をしていたこの時代、ギリシャもローマ帝国の支配下に置かれていた。当時「全ての道はローマに通じる」と言われたように、ローマ帝国は軍事目的で道路を整備した結果、通商も盛んになり街道沿いの街は大いに賑わった。ピリピもそんな街の一つである。神様はローマ帝国の支配をも用いて、パウロの伝道を後押ししたのだ。
 ギリシャ語では「神の時・物事が実現する時」又は「チャンス」をカイロスという。私たちは与えられたカイロスを無駄にしていないだろうか?例えばマリア・モンテッソーリは、3歳までの子供には「敏感期」があり、秩序感を大切にし、物事のあるべき場所や順序に非常にこだわりをみせる。またこの頃は随意筋の調整期があり、運動神経・平衡感覚が養われる。この時期にモンテッソーリ教育で育てられた幼児園の子供たちは、驚くべき能力を発揮しているのだ。まさにカイロスを活かす事の大切さを示される。
 ピリピの街で語るパウロのメッセージに、異邦人であるルデヤという婦人が心を動かされて、彼女の家族も周りの人たちも洗礼を受けることになる。この場所は人々が祈るために集まる「祈り場」であった。皆が心を合わせる祈りは聞かれやすい。個人の祈りは「~してほしい」という欲になりがちだが、皆が祈ると無私の祈りになるからだ。こうして本当の救いを求めたルデヤたちの祈りは、この地にパウロを導いた。
 ルデヤたちピリピの人々は、絶えずパウロと共にあり、金銭的にも支え続けた。裕福なルデヤは与えられた賜物を活かしたのだ。しかし長所だけではなく、主は短所をも活かされる。自らセルフイメージが低いと認めるある青年は、だからこそ中高生の揺らぐ気持ちが理解できるという。このように一見マイナスなことも神様はプラスにしてくださるのだ。
 パウロは「ピリピの教会は私と困難を分かち合ってくれた」と言った。多くの出会いの中で心に残る人とは、逆境の友、困難を共に分かち合える人のことだ。あなたにはいるだろうか、又は誰かの逆境の友になれるだろうか。