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『その方の星を見たので』 マタイ2:1~12 [礼拝メッセージ]

12月23日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

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 東方の博士たちが星に導かれ、救い主に会いに来た。異邦人である彼らは占星術も研究していたが、真理に辿り着くことはできず、生活をなげうってイエス様を追い求めた。
 星はどんな時に見えるのか?真っ暗な夜の暗闇の中、闇が深ければ深いほどその光は輝く。皆さんも迷いや悲しみなど、暗闇の中でイエス様に導かれたのではないだろうか。私も高校時代、進学校の上位クラスに入ったが、学校の名誉のためにより良い大学を目指すべき、という方針に反発し、部活に打ち込むも体を壊し退部、何のために勉強するのか?と思い悩む日々だった。そんな私にある友人が、人生相談に乗ってもらえるから、と宣教師の先生を紹介してくれた。また、ある婦人はご主人が入院中、同じ部屋に入院していたAさんの証を聞き、イエス様を知った。彼女は以前とある新興宗教の信者だったが、教祖は難病の孫のことで苦しみ悩む彼女に、心無い言葉を浴びせたそうだ。そんな中イエス様に出会い、もっと知りたいと願い、本日洗礼を受けることになった。
 このように、暗闇の中で星に導かれた私たちはイエス様に出会い、真理を見つけた。人というのは「自己中心」という罪を持つ。自分さえ良ければいい、自国さえ良ければいい、という自己中心の罪、また相手に対し過剰な期待をし、「~すべきだ」とするのも自己中心の罪である。また、人間は平等であり、その尊厳はその人の持つ能力では測れない、というのも聖書が示している真理である。
 博士たちはイエス様に出会い、来た道とは別の道を通って帰った、これはイエス様に出会い、生き方を変えられた、ということだ。私自身もイエス様を知りセルフイメージが変えられた。私たちは神の作品であり、一点ものだ、私は私でいいんだ、と。
 また、イエス様は楽天家で現実的なお方で、「明日のことは明日が心配する」、明日の心配は無用だ、今日を集中して生きよ、と仰って下さり、生き方の指針となり、「私についてきなさい」と仰って下さるお方だ。イエス様に出会った博士たちの喜びはいかばかりだったろう。ぜひイエス様から与えられた喜び、恵みを振り返り、文章に書いていただきたい。それは必ず、まだイエス様を知らない方への証になるのだから。