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『一粒の麦』 使徒 7:54~8:4

4月22日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 今日の箇所はステパノの殉教の記。ステパノの弁明を聞いていたユダヤ教の人達は、彼らの罪が糾弾されると怒りが湧きステパノを石打の刑で殺してしまった。その時ステパノが霊の目を持って天を見ると天が開けてイエス様が父なる神の右の座に立っておられ、手を広げて天に帰るステパノを迎えられる光景をみた。ステパノはこんな大変な中でもご聖霊様によって平安が与えられその人達への赦しの言葉を残して死んでいった。このリンチの証人の一人がサウロであったがこのステパノの姿勢を見て愕然とした。イエス様も十字架に架かられた時、「この罪を彼らに負わせないでください。」と言われた。まさにステパノの姿はミニイエス様であった。
 ステパノの死がもたらしたものとして改めてサウロへの影響を考えたい。サウロはユダヤ教の律法を完璧に守ることを生きがいとしていたがそこからは本当の意味で満足する喜びを得ることはできなかった。むしろ行いによっては救われないのかと疑問と不安を抱き、もしかしたらステパノの言っていることは本物なのかという思いを胸中に無理やり押し込めて、狂ったようにクリスチャンの大迫害に熱中した。しかしその彼がダマスコ途上で復活のイエス様に出会って、その愛に触れ今度は狂ったように福音を述べ伝えていく者と変えられた。またステパノの死を通して隠れクリスチャンになっていた人達やクリスチャンの仲間に入りたかった人達の信仰を明らかにした。迫害を受けて散らされた信徒たちは伝道旅行者となりどんどん地方へ福音を広げていった。まさにステパノの死は一粒の麦であり、不思議な主の御手の業である。
 佐藤彰先生の福島第一聖書バプテスト教会は3.11の被害に遭った。教会員達は会堂に集まり一緒に避難することになった。先生は信徒がこんなことが起こって神様への信頼を無くしてしまうのではないかと心配したが、皆は逆境の中でも守られたり集団移動に多くの教会の助けを受け、信徒達の口からは主への感謝の言葉が出たのである。奥多摩のクリスチャンのキャンプ場を管理していたドイツ人宣教師夫妻は本国からの帰国命令にも従わず、まさに死ななければならないのなら死ぬという覚悟で避難者を助けた。また地域の人々の協力もあり一緒に行動していたまだイエス様を知らない人々が続々と洗礼を受けたのである。この宣教師も一粒の麦となった。
イエス様を信じながらなぜこんなことが起こるのかと思うことがあるが、この一粒の麦のように御手の中でイエス様は祝福に変えてくださる。私たちも辛く苦しいこともイエス様の元に持っていって御手の中で感謝と賛美に変えていただきたい。