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『「原因」ではなく「目的」』 使徒3:1~11 [礼拝メッセージ]

2月11日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 ペテロとヨハネが神殿に行くと,足の不自由な物乞いの男がいた。二人は男に,「ナザレのイエス・キリストの名にあって歩きなさい」と言った。一時しのぎの金銭ではなく,イエス様を信じ,永遠の命をいただく信仰を与えたのだ。自分の周囲に希望を失ってうずくまっている人がいたら,イエス様の力を伝えてほしい。
 男は立ち上がり,歩き,宮に入ることができた。神様の主権と同時に人がやるべき責任もある。みことばが与えられた時,信じてチャレンジすると道が開かれる。例えば,『マリッジセミナー』に配偶者と参加するのは無理だろうと思っていたが,周囲に励まされて誘ってみると一緒に参加できることになったという人が何人もいる。
また,自立の大切さも考えたい。歩けるようになった男は,物乞いをやめて自立でき,とてもうれしかっただろう。育児の目的の一つは自立である。子供が成長するにつれて干渉を減らし,自立できるように育てなければならない。また,霊的な自立のために,主日のメッセージだけではなく,日々のディボーションで自分を養っていってほしい。
足の不自由な男は,神殿に背を向けて物乞いをしていたが,癒されると喜んで神殿に入っていった。これはイエス様を信じる者の姿である。イエス様を信じた者はまことの神様に向かい,キリストの体の一員として他の人とつながっていく。また,彼の存在が周囲の人への証になった。人にはそれぞれ,その人にしかできない証があり,イエス様はそれを組み合わせてご自身の栄光のために用いてくださる。
 ヨハネの福音書9章には,イエス様による盲人の癒しが書かれている。「目が見えないのは,誰の罪のためですか」とその『原因』を求める人々に,イエス様は「神の栄光が現れるため」と『目的』を語り,癒された。問題が起こった時,原因を考えて思い悩んでも過去は変えられない。過去に何があっても,イエス様はそれを逆転して神様の栄光に変えてくださる。イエス様を信じて前に進もう。『ビフォー』がひどいほど『アフター』の素晴らしさがより際立ち,神様を証できる。