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『12弟子の選び』 ルカ6:12~16 [礼拝メッセージ]

1月24日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 イエス様が小グループである12弟子を使徒として選ばれたのは、復活の証人として、また初代教会の礎となるようにだが、これを神学的角度から考えてみる。   
創世紀1:26に「われわれ」という言葉が二つ出てくる。つまり真の神様は複数であり、これは三位一体という神学的根拠になる。しかし申命記6:4では神様は「われわれ」であるにも関わらず一人であるとあり、これは三つの人格を持ちながら一人の神様、三位一体の神である。これは人間に見られない神様の交わりの特徴である。さらにヨハネ17:21には父なる神様とイエス様の交わりを「あなた」「わたし」と言われているように、互いの独自性を認めながら尊重し愛し合い一つになり、且つ相互的で自由である。
 “神は愛なり”という御言葉には、「ご自分の命と引き換えに私達に永遠の命を与えて下さったほどの神の愛」という意味がある。
愛は対象を必要とする。人間が創造されてから神は愛となったのではなく、その前から三位一体の人格的な愛の交わりを豊かに持っておられたのである。だから神の形に似るものとして創られた私達も、他の人と人格的な交わりを持つ時、満足と喜びと安心が与えられる。人は人との交わりを欲している。充実した「家の教会」はこの欲求を満たすことができる。
 心理学者コフートによると、人間関係の三大欲求があるという。
①存在価値を認められたいという自己尊敬の欲求。
②人に頼り頼られたい相互信頼の欲求。③感情の共感の欲求。
 また、人間には居場所が必要である。家の教会の存在理由は「三位一体の神様に創られた私達は真の交わりを求めている」ところにその裏付けがある。イエス様は三位一体の交わりの反映とも言うべき小グループを作り、身を置かれ、弟子達と交わり、ご自分の愛を残さず示された。
 医者である柏木先生の『恵み・支えの相方向性』という文章では、「全ての物事にはプラスとマイナスがあり、物事を見るときの方向性によって病気の治り方が違う」という。マイナス面に気持ちが向いている患者より、プラス面に気持ちが向いている患者の方が治りが早いのである。老いの捉え方にも方向性が関係する。残っている能力と失われた能力のどちらに心が向いているかによって、幸せ度が違ってくる。それは残っている能力に目がいき、感謝の心があるからである。
 イエス様は、ご自身が選ばれた弟子達の中にもペテロやユダの裏切りを知っておられたが、後にペテロは自分の罪と神様の愛を知ることとなり、ユダの裏切りは神様の不思議な摂理の中でイエス様が十字架につかれることに用いられた。なんと深い神様の知恵と愛であろうか。全てのことを働かせて益として下さる主の恵みを信じて、前向きに物事を捉えて進んで行きたいものである。