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『人間の力ではなく、女の子孫によって』Ⅱペテロ 2;20、21&創世記 2:16,17 3:1~19 [礼拝メッセージ]

8月30日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 コロンビア大学ビジネススクールの教授シーナ・アイエンガー(「選択」について20年研究)によると、野生の動物が動物園の動物よりも長生きなのは、選択の自由があるからだという。 人間も自己決定の度合いが高い人ほど寿命が長かった。  
 なぜ、神はアダムとエバに善悪の知識の木の実を与えたのか? 選択することは生物の基本的欲求であり、神がその人の人格を尊重しているからである。 しかし、選択には結果の責任も伴う。 
 エバはサタンのもくろみにまんまとひっかかり、「食べると必ず死ぬ」と言われていたのに「それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。」と神の言葉を足したり引いたりした。 みことばの勝手な解釈は危険である。 食べて、二人は裸であることに気づき、いちじくの葉で腰を覆った。 今まで全て神に守られていたが、神との信頼関係が切れて自分で自分を守らなければならなくなった。 死の前には地位・財産・知識・血筋・美も何の防衛策にならない。 神はアダムが悔い改めて出てくるのを待っておられたが、アダムは悔い改めるどころか「あなたが与えたこの女が」とエバと神に責任転嫁した。 人間関係は自主的な協力関係から強制秩序に転じた。 経済的・軍事的・知的に強い者が弱い者を搾取・支配する。 神から委ねられた自然管理は罪ゆえ自然の反逆にあい、経済成長が進むと環境破壊が進んだ。 労働は虚無化した。 神との断絶により、霊的に死に、肉体も終わりが来て、永遠の滅びに行く。 ここから脱出する道はないのか?
 イエス様こそ「女の子孫」(創世記3:15)、救い主、脱出の道。 罪のない人だけが罪人の身代わりになれる。 神は「わたしはあなたを愛している。ひとり子の命にかえても惜しくない。」とイエス様を十字架につけ、私達の身代わりにされた。 イエス様は釘の跡のある両手を広げて招いておられる。 この愛に応えてほしい。 信仰者は正しく世界管理をし、みことばに従って恵みと栄光を現していきたい。