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『イエス様は、いのちのパン』 ヨハネ6:35~40 [礼拝メッセージ]

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12月22日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

 真の神様がエデンの園を守らせていたアダムとエバとの約束は、善悪の知識の木だけは食べてはいけない、それを食べると必ず死ぬと言うことであった。しかし二人はサタンの嘘に欺かれ神のようになりたいという動機からその実を取って食べた。そして肉体的にすぐには死ななかったが神様から断絶されるという霊的な死が入ってきたのである。また肉体的にも時間をおいて死が入ってきた、これが肉体的な死であり、さらに肉体的な死と共に永遠に神様との関係が無くなってしまう永遠の死、この三つの死が私達に入ってきた。真の神様はご自分が言ったことを必ず実現させる、言葉に重みのあるお方である。
 食べると必ず死ぬという三つの死が入って霊的に死んでしまった人間を救うために、真の神様はいのちのパンなるイエス様を送って下さったのである。永遠のいのちのパンであるイエス様の誕生日がクリスマスである。イエス様ご自身がいのちのパンですと言われたのは、私達はイエス様を信じることなしに霊的な飢え渇きが決して癒されることはない。また人がイエス様の所に行くには真の神様の導きと摂理があり、イエス様に与えられた人は一人残らず永遠のいのちを用いて天の御国に入れるようにしてくださるのである。

 さて聖書の中のメイン御言葉は「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」このためにイエス様を送って下さったのならば、教会の存在目的の第一は宣教である。時にサタンは行いを軽視させるように騙してくることがある。確かに私達は行いによっては救われないが行いは救われた目的であり、私達は良い行いに歩むように主イエスによって造られ、良い行いは真の神様が予め備えてくださっている。私達のすべきことは、言葉だけでなく主にある愛の業を通してイエス様を証していくことである。私達は永遠のいのちの恵み、霊の祝福にあずかった者として、今度は私達が主にあってこのいのちのパンを多くの人たちに分かち与えていく使命が与えられているのではないか。