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『死ぬ時に後悔すること』 ヨブ1:21 [礼拝メッセージ]

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10月20日(召天者合同記念礼拝) 礼拝メッセージより

 私達はだれでもいつか死を迎える。『死ぬときに後悔すること25』という本には程度の差こそあれ人は死ぬ時、人生にたいして後悔が残っているという。肉体的な苦しみもあるが、心の苦しみも大きいのではないだろうか。自分のやりたかった事ができなかった、行きたい所に行けなかった、言うべき人に言うべき事を言わなかった、会うべき人に会えなかったなど心の中にある後悔が走馬灯のように浮かんでは消えてゆくような最後を望む人はいないだろう。
 日本人は民族性としてがまんする人が多い民族という。主に在って罪でないことであれば大いに人生を楽しんでも良いのではないだろうか。
 人の死は和解してゆくプロセスである。生きている間にこれだけはおさえておきたい3つの和解がある。
 1、自分自身との和解。
 2、家族との和解
3、私達にいのちを与えて下さった、まことの神様との和解がある。
今日、昇天者合同記念礼拝を捧げた。故人を偲び、その方々の生き様の中に創造主なる神様がどのように関わってくださったのかを思い返す時、一人ひとりが主の愛と恵みの深さに改めて触れる大切な時でもある。
1月に天に召された男性がいる。彼は関東人、奥さんは関西人と言葉の語尾の違いという些細なことでよくケンカになった。 彼の人生は苦悩との戦いだったが、クリスチャンの奥さんによってイエス様を信じ救われ神様の愛に触れて自分の持つ価値観が変えられた時すべてが感謝に変えられ、わが人生に悔いはない と天に凱旋して行った。
愛する人を失う悲しみはいつまでも尽きない。しかし私達には天の御国でいつか会える希望がある。
 みことばにあるように私達は母の胎を通して形造られ、裸でこの世に生み出された。ひとり一人に人生を与え、やがていのちを与えてくださった方の元に帰る日が来る。
 自分自身を受け入れ、愛する人に愛を伝え、悔いのない人生を終えるために本当に大切な事は、まことの創造主なる神様との和解ではないだろうか。 ここに根本の解決がある。