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『わたしについて来なさい』 マタイ9:9~13 [礼拝メッセージ]

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12月23日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より

 元々ユダヤ人は神様からの選びの民族として選民意識が高く、取税人はユダヤ人達から嫌われていた。この様な背景の中でイエス様から声をかけられたマタイは、どこか救いを求める霊的病人であって、イエス様は真の医者としてこのマタイをスカウトされた。彼はすぐにイエス様の言葉に従った。信じるということは全部分かってからでなく、一つの手がかりを持ってより知るために従っていくことである。

 私たちの生活、仕事、栄誉などの意義は全てやがて墓に通じるものではないだろうか。本当の賢さは神様からの呼びかけを無駄にしないこと。一回の機会を逃したら二度とチャンスは無いかもしれない、正に一期一会である。
 また弟子となったマタイが開いた宴会は正に家の教会であり、私たちの教会もこれに習って実践している。

 さて、わざわざ障害を持った子を養子縁組したアメリカ人夫婦がいるが、これはイエス様がわざわざ取税人を自分の弟子とすることと同じであろう。マタイとは神の賜物というイエス様がつけたニックネーム。イエス様はマタイの賜物も知っておられ必要とされたのである。マタイの救いは、多くの人々の知るところとなり喜びとなったであろう。

 ところでイエス様は三位一体の真の神であられるのに弟子を持たれ、この地上でも弟子達と親しい交わりを必要としておられた。私たちの救いも一方的な主権であると同時にイエス様は友となってくださったのである。

 マタイが弟子になったことで他の弟子達に動揺があったと思うが、乗り越えさせたのは“わたし”イエス様にあって心を一つにすることができたからだろう。霊的な病人から救われた私たちも自分をあまり見つめすぎず、他人の事を文句を言う前にイエス様にあって心を一つにして、互いに助け合いながらまず“わたし”イエス様に従っていこうではないか。