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主はみちを造られるⅡ  イザヤ43:19

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今年は、教会創立40周年の記念の年。まさに、主は道を造ってく ださった。
 先週に続き、今週は松原赴任から今日までの自身の証し をする。

 イエス様の名によって、父に求めるもの。言い方を変えれば「祈り」であるが、神学校を出た私は、進路を求め祈った。同盟教団の何処かに遣わされたい思いでいたが、結果は、この松原聖書教会の牧師となることであった。
 神様の祈りの回答には、YES・NOの他に、願った通りでないさらに祝福される神様の答えと言うのがあるが、この時の回答も、私が祈った事とは、全く別の形で叶えられた。

 その後も、若者と求道者を導く為に、祈りの中で様々な試みをして行った。
  当時、高校生が洗礼を受ける為に松原湖へ行くのが通例となっていたが、 この教会で学びをし、洗礼を受けるようになった。この事で、スタッフが訓練され成長したという祝福があげられる。

 主任牧師の責任が与えられた時、神様にどうこの民を導いて行けばいいか教えてください。と祈ったところ、出エジプト18章にある多忙なモーセにたいする舅イテロの助言が示された。
 自分でないと出来ないところ以外は、整えられた然るべき人に任せ、また必要のない事は、止める
という事である。
 
 私はまた、イテロの助言を謙遜に受け入れたモーセに習った。すると神様は、私に様々な助け人を送ってくださった。その人たちから頂いたアドバイスを元に、洗礼を受ける子供の年齢を引き下げ・ディボーション・セルグループ・幼児園・アカデミー・キラキラ会・ダンス・ゴスペル等たくさんの事を取り入れて行った。

 次は、家の教会にチャレンジする。
 全ての条件が整ってからというのではなく、できる事からチャレンジする。
 すぐ行動に移す。これが、祝福の鍵である。