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「知られない神とは」使徒17:16〜34 [礼拝メッセージ]

11月3日礼拝メッセージ(野口牧師先生)より
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 日本は仏教や神道の国だが、実際には、何を信仰しているのかよくわかっていないことが大半ではないだろうか。その背後に、聖書の神が隠されていることを紹介したい。
 まずは密教(真言宗)について。密教は、空海によって中国から伝わったが、もともとの釈迦の教えである原始仏教とは大きく異なっており、そこには「景教(キリスト教)」が影響を与えたと考えられる。その証拠のひとつとして、中国には、唐の時代に景教が栄えた記念として「景教流行碑」という石碑があるが、そのレプリカが高野山にある。また、原始仏教には唯一の神は存在しないが、密教は「大日如来」を宇宙の絶対者、「弥勒菩薩」を未来の救い主として信仰する。これはまさに、聖書の創造主なる神と、救い主イエスの影響ではないだろうか。
 次に日蓮宗について。日蓮は、法華経を釈迦が最後に説いた教えだと信じていたが、実は釈迦の死後に弟子たちがつくったものだと解明されている。インドには、使徒トマスがキリスト教を宣教しており、法華経が、釈迦を時間や空間を超越した「久遠実成の仏」としているのは、その影響を受けていると考えられるのではないだろうか。
 このように、仏教の教えの中には、キリスト教の神の影響が隠れており、仏教を学ぶことで、クリスチャンになった人もたくさんいる。真剣に探し求めるなら、神はご自身を現してくださる。
 パウロの言葉を聞いた人たちの反応は、3つに分かれた。「①死者の復活はあり得ないとあざ笑う人たち。これは、きちんとした裏付けを取ろうとしない態度。②後から考えると言う人たち。これは、表面上は良い顔をしつつ、実際には逃げている態度。③信仰にはいった人たち。」である。福音を語る時、人々はいずれかの反応をするが、③の人たちも必ずいるのだ。
 パウロは、ギリシャ人が「知られない神に」と刻んだ祭壇を拝んでいるのを見て、それを否定するのではなく、「あなたがたが知らずに拝んでいるものを教えましょう。」と、引用して福音を伝えた。だからギリシャ人にわかりやすく、受け入れやすかった。このように、相手と時代に合わせて柔軟に対応することも、福音を伝える上での大切なポイントになる。私たちの教会では、地域に仕え、福音を伝える実践のひとつとして、幼児園を運営している。しかし、10月からの幼児教育の無償化の対象にはならないため、月謝の半額を、希望者に給付型奨学金として、教会が負担することに決めた。相手と時代に合わせた対応が、用いられるように祈ってほしい。

「苦難の交わり」 ピリピ3:10~14 [礼拝メッセージ]

10月27日礼拝メッセージ(中村牧師先生)より
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 ラグビーの試合を見て,選手が献身的にチームに仕え,チームが前進していく姿に感動した。教会も協力し励まし合い,信仰のゴールを目指して進んでいきたい。
パウロは,人間的な努力で律法的な生き方をしてきたが,神の恵みの素晴らしさに比べるとそれは価値のないものだ,と語っている。また,キリスト復活の力によって新しい生き方をしているパウロは,苦しみも含めてイエス様と共に生き死ぬことで,復活の恵みにたどりつきたいと述べている。イエス様と一体になりたい,イエス様が待っておられるゴールめざしてひたむきに走り続けたいという,パウロの情熱の表れである。獄中という苦難の中でイエス様との一体感が深められることを感じていたのだろう。
 我が家では,この夏娘の自転車が盗難にあった。しかし,思いがけない場所ですぐに見つかったことで,神様の憐れみと素晴らしさを味わうことができた。とくに,娘にとっては祈りがきかれたという体験になった。
 また,先日のK神学生の証を聞き,神学校での勉強の苦労を思い出した。当時支えてくれたのが,Jキッズの子供や青年会,教会員の祈りや励ましである。教会から送りだされたという自覚に支えられ,投げ出さないで神学校を修了できた。苦難の中でイエス様に捕らえられているという感覚を味わうことができ,投げ出さないで神学校を修了できた。今,苦難の中にいるだろうK神学生のことも応援・支援してほしい。
 クリスチャン新聞福音版で,奥様を亡くした木下滋雄さんが,「イエス様が素晴らしいのは,悲しみにくれた人と共にいてくださること。命を捨ててまで私達を愛してくれる神様がゆるされたことなら,大きな悲しみもご計画のうちにある。」と書いている。
 苦難や困難を通してもご自身との交わりを深めてくださるイエス様に信頼し,イエス様が待ってくださる栄光のゴール目指して,励ましあいながら信仰生活を続けたい。